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玉越直人の社長夜話
図書館講演会 1冊の本ができるまで
2018年10月12日
図書館講演会 1冊の本ができるまで社の30周年記念出版として、昨年5月に上梓した『日本の時代をつくった本』が、本好きな方々からご好評を得たが、さらに嬉しいことに、公共図書館の方々からも賛辞をいただいている。

本書は、明治150年を迎え、江戸から明治に変わり、近代日本の出版活動が一気に発展・成長したなかで、それぞれの時代・社会が生んだといえる書籍を中心に109点選書し、1点ずつ見開きのビジュアル版で紹介した大型企画である。
「歌は世につれ、世は歌につれ」と言うが、監修の永江朗氏は「本は世につれ、世は本につれである」と巧みに表現された。

そんな1年もの時間を要する大編集作業となった本書がご縁となり、最近、図書館の館長さま向け、あるいは図書館を利用される一般市民の方向けの講演会の講師を頼まれる機会に恵まれている。

つい先週も、千葉県の茂原市立図書館での講演会に伺ったばかり。
60万人が楽しむといわれる七夕祭りで有名な町であり、私もかつて一度、祭りと屋台を楽しんだ経験がある。

そんな町の図書館に集まってくださった市民の方々に向けて、「本とはなにか」「編集とはなにか」から「図書館での本と読者の出会いと出版社」について話もしたが、最後には『日本の時代をつくった本』の編集過程と苦労・裏話などをした。
あっという間の時間だったが、「1冊の本が生まれるまで」というテーマで、図書館内の豊かな空間の中で、一般読者の方々を前に語ることができたのは、出版に心血を注いできた人間にとっては、至福の時間でもあった。

質疑応答の時間には、熱心な方から「こういう本を出版していただきたい」というリクエストも続き、とても楽しく、盛り上がった。
出版社と読者の方々が直接出会える機会をつくってくださった茂原図書館の館長さま、スタッフのみなさまに大感謝であった。

日本には3300もの公共図書館があり、そこには、それぞれ良書選びのプロが働いておられる。
そんな方々が独自に選書したラインナップによる「図書館員が選んだ日本の時代をつくった本コーナー」があったら楽しいな、などと妄想が膨らんだ昼下がりであった。

「本は人につれ、人は本につれ」

本とは、時代も何も超え、人と人をつなぐ最高のコミュニケーション・ツールなのだと私は思う。

玉越 直人
雀歴50年
2018年9月7日
10数年前から社が主催してきた麻雀大会が、先日31回目を迎えた。
今回は6卓、24名で優勝を競ったが、いわゆる「健康麻雀」で、半チャン4回、メンバー交代制、時間制限付きのシンプルな順位戦である。

前半快調だった3卓目で、私の対面に座った女性が「私、今年で雀歴50年なんですよ」と‥‥。
「ほう、それはすごい!」と言ってからすぐ「あれ、私も高1の時に父に麻雀を教わったんだから‥‥」と気づき、「雀歴50年」同士、苦笑し合った。

思えば、大好きなタバコをやめたのは50歳のときで、公式には喫煙歴30年、酒も同様に45年。
そう考えると「50年」はすごいのかも、などとボヤっとしていたら、「親ッパネ」を振り込んでしまった。
50年選手ながら、まだまだ修業が足らん!

会場では、牌を積むこともない最新鋭の全自動卓だったが、思い起こせば、父の麻雀教室は、コタツの上のテーブルをひっくり返した「緑色のマット」で開かれ、牌を2段重ねする練習から始まった。

ゲーム大好き人間の私は、ルールや点数の数え方はすぐに覚え、2人麻雀の実戦で、父から満貫を上がったときには、大人の仲間入りができたような感慨さえあった。
酒もタバコもやらない、ともかく気真面目な父との数少ない「遊び」の思い出である。

そのうち悪友の家に集結し、卓を囲むことにもなったが、本格的には大学に入ってから。
雀荘は高いので、友人のぼろアパートに4人集まっては「徹マン」。
朝方少し寝てから、誰かがバイトに出かけ、また夜には卓に戻る。そんな暮らし‥‥。

さらに社会人となった先輩も場に加わるようになってからは、本格的な「大人麻雀」に変わり、汗水流して稼いだバイト代が泡のように消える、ずいぶん痛い目にもあった。
だが、後悔も飽きもせず、「中国文化研究会」などとうそぶいていたのだから、父には話せない、どうしようもない学生時代だった。

ともあれ、麻雀というゲームの醍醐味、面白さは、卓を囲む4人の個性、雀風が交錯し、それが常に勝負を左右することだ。
かくいう私は、師匠だった父の雀風に近い「完先」「黙テン上がり」主義。
一番好きな手は「タテ清」。

あ〜、すみません。麻雀の話となると、つい我を忘れてしまう私。
ともかく今日の本欄は、麻雀をなさらない方にはチンプンカンプンな用語の乱発でした。
どうかご寛容のほど、お願いいたします。


玉越直人
故郷
2018年8月15日
故郷毎年、お盆に入ると、故郷に向かう方々の空港、駅、高速道路の混雑ぶりが報道される。
今年の猛暑は日本中を襲っているので、帰省される方々も大変だと思うが、ビル街のアスファルト地獄から解放されるであろう数日間は、いわゆる「故郷」をもたない私にとってはとても羨ましく感じられる。

そして、そのときいつも浮かぶのは、童謡『故郷(ふるさと)』(高野辰之作詞 岡野貞一作曲)だ。

「うさぎおいし かのやま こぶなつりし かのかわ ゆめはいまも めぐりて わすれがたき ふるさと」

私の家は、戦前は阿佐ヶ谷で「武道具屋(今でいうスポ−ツ用品店。書籍も扱っていたとのこと)」を営んでいたが、戦後はサラリーマン家庭となったため、私には帰省できるような「故郷」がない。
私の「実家」は今住む家なのである。

そのくせ、本をつくることしか能のない私は、田舎暮らしも、農作業経験もなく生きていた。
だが、今から16年前、幸運がやってきた。
なんと、親しい友人のご主人が生まれ育った実家の畑をお借りして、その友人・仲間たちと一緒に蕎麦栽培を始められることになったのだ。

といっても、全員農業経験なしの私たちは、地元の農家の方に「おんぶにだっこ」だった。
それでも、自然農法を指導していただき、今では素人の方がメンバーに加わっても、すぐに大丈夫なくらいにまでなれた。

電気を一切使わない古式農作業はきつくもあるが、私にとっては、千曲川の美しい流れが見下ろせる信州の山間の畑に立ち、黙々と農作業をする時間が好きだ。
先日も種まきに行ってきたばかりだが、真夏の空の下、「社長業から全解放される瞬間だ!」などと、16年間農作業に同行してきた娘につぶやいている自分がいた。

その娘は、小学校時代から受験の年を除き毎年やってきているので、「蕎麦畑で育った」といえるほど、たくさんの学びを得ると共に、様々なメンバーの方々に優しくかわいがっていただいた。

そのおかげで、娘は蕎麦が好きになり、農作業に興味をもち、なにより山と川、自然と人間がとても好きになった。
今でも、そうした仲間に深く感謝している。

最近では、蕎麦畑創業メンバーが高齢化し、私もいつ「戦力外通告」されるかわからない状況だが、親子連れも増えはじめ、30人近いメンバーが集う蕎麦畑も「蕎麦打ち会」もどんどん賑やかになってきた。
いつの間にか、私と娘には、心安らぐ「故郷」のような居場所ができていたのかもしれない。


わが敬愛する木下恵介監督は、名画『カルメン故郷に帰る』で、田舎から上京し、苦節の末、大都会の踊り子に転身したものの、心の底では孤独で淋しい主人公と、農業で生計を営む実家の貧しき大家族たち、質素な暮らしを営む田舎の人々、その背後にある社会・時代を見事に描き切った。

何年ぶりかで「凱旋」のように帰省した主人公が、静かな田舎で巻き起こす大騒動のなか、浅間山の高原を舞台に明るく踊り歌い歩く女優、高峰秀子が演じる妖艶な姿は、日本映画史上の傑作シーンだと私は信じている。

「故郷は遠きにありて思うもの そして悲しくうたふもの」と室生犀星は詩作した。

みなさまの心の故郷は……。


玉越 直人
「建築の日本展」と「アンティーク・レース展」
2018年7月31日
猛暑お見舞い申し上げます。

都内のオフィス街はゆうに40度を超えていて、赤信号がやたらと長く感じられるほどだが、西日本豪雨で被害に遭われ、また重ねて台風に見舞われた方々の様子を見ると、せめて被災地だけは、ともかく雨が静まり、気温が下がってほしいと願うばかりである。

そんな7月、いきおい週末も屋内で過ごす時間が増えているが、心の涼を得た「アタリ」の記念展について少し。

まずは「建築の日本展」。
これは、親しい出版社の社長さんに教えていただいた森美術館15周年記念展で、副題の「その遺伝子のもたらすもの」に強く惹かれ、37度を超えた六本木に向かった。

門外漢ではあるが、私は昔から「建築家」という世界の職業人に畏敬の念をもち、その伝統のなかから編み出す、人間の創造力を超えたアートに圧倒され続けている。
特に、わが日本建築の礎、木造建築の遺伝子を色濃く受け継いだレトロモダンな建築物には、日本人そのものの遺伝子すら感じられ、興奮する。

それら建築物を代表する展示は、古代出雲大社本殿の50分の1模型、実物大の「侍庵」、「同潤会アパート」の空間、そして、私が小学生のときに見た東京オリンピックのシンボル「国立代々木競技場」(丹下健三設計)、ビートルズ来日公演が行われた「日本武道館」(山田守設計)、今話題の「荘銀タクト鶴岡」(SANAA設計)など贅沢なものばかり。
主催者側の意気込みがひしひしと伝わってきて、下界とかけ離れた空間に浸ることができた。

日を改めて、これまた猛暑のなかで訪問したのが松濤美術館。
こちらは姉に教わった。

代々のレース収集家の家に育ち、「レースは私の人生そのもの」という世界的なアンティーク・レースコレクターであり、鑑定家でもあるダイアン・クライス氏の数万点ものコレクションのなかから、厳選された175点の歴史的名作が静かに陳列されている。

学芸員の方の説明では、来日されたクライス氏は展示企画・配置も自ら行ったという。
王侯貴族の圧倒的支援を受け、世界のレース職人の手が生み出した、想像を絶する「糸の奇跡」は、ひとつのレースを完成するまで何年も、何人もかかるといわれ、豪華な宝石と並ぶほどの至高の芸術品であり、その価値は測り知れないといわれるものだった。

ところが、産業革命による近代化、世界を駆け巡った民主化の嵐、そして第一次世界大戦などを経て、レースを取り巻く世界は激変。
支援者を失った職人たちはベルギーに集ったが、時代の波には勝てず、手織りレ−スは文字通りアンティークな世界にとどまることとなった。

同氏の強い意向で展示されたという「ウォー(WAR)・レース」は、まさにそのシンボルである。この有名なテーブルクロスには「第一次大戦の連合国・同盟国14か国」それぞれの紋章が整然と並び、日本の「菊の御紋」も美しかった。

「20世紀以前に作られたレースは時価数億円もざら」と語る来場者の話が耳に入ったが、アンティーク・レースという芸術品のもつ歴史と文化に触れ、王族たちの衣装を美しく飾ったレースを拡大鏡で覗きながら過ごした館内は、まるでタイムスリップしたような空間で、とても涼やかだった。

玉越 直人
公共図書館長さま向け講演会
2018年7月10日
公共図書館長さま向け講演会TRC(図書館流通センター)さまからのリクエストにお応えして、先月は東京、今月は大阪で、公共図書館長さま向けの「教養講座」の講師を務めた。

講座名は「出版社の経営と編集という仕事」。
私こそ、こんな講座があったらぜひ聞きに行きたいようなテーマで、私ごときがどんな話ができるのか悩んだが、結局創業以来31年の悪戦苦闘ぶりを飾らずお話するしかないと腹を決めた。
小さな出版社の存在意義と、意外に知られていない編集という仕事の実際を知っていただき、本というものを通してつながっている館長さんとの距離感が縮まったらいいなという思いもあった。

お渡しておいたレジュメは以下の通り
「1 出版業界の仕組み・特殊性・新しい動き」「2 出版とはなにか」「3 編集者の仕事は著者開拓と読者創造」「4 『日本の時代をつくった本』企画・編集の舞台裏」

90分ほどだったが、なにせ図書館長さんを前に講演するのは初めてだし、勝手に「昔の学校の校長先生」のような堅いイメージが館長さんにはあり、いささか緊張気味でスタートしたが、すぐに本好きな方々特有の温かい目線を受け、いつしか漫談調になっている自分がいた。

だが、一番受けたのは、やはり最後の話「本づくりの舞台裏」だった。
多くの図書館に蔵書していただいている『日本の時代をつくった本』(永江朗氏監修)は、社の創立30周年記念出版書籍である。
明治150年にあたり、それぞれの時代を飾った意義深い109点を選び、1点につき見開きの文章とビジュアルで綴った「幕末から現代までの社会と文学を読み解く」初めての試みだった。
まさに、「企画・編集」という仕事に情熱のすべてをかけた出版人、編集者の先達の歴史を辿った、まさに編集者冥利に尽きる大作になったと自負している(2017年4月刊。A4判・上製・オールカラー・320頁)。

質疑時間には、編集という仕事に対する好奇心と敬意が伝わってくる質問・発言が続き、とても嬉しくなったが、最後は「ぜひ、当館に講師としてきていただきたい」「企画書の作り方、本づくりの実際を、来館者に体験させていただくワークショップを開きたいので、お越しいただけたら」とのご提案もいただき、日頃の苦労が吹き飛んだような爽快な気分で、会場を後にした。

出版社と公共図書館は、巷間「複本や文庫蔵書問題」などが論点になっているが、もともと切っても切れない深い仲。
出版社が丹精込めて作りあげた本が、日本の3000館といわれる公共図書館に所蔵され、全国津々浦々の未知なる方々と出会うことは大きな喜びであり、特に子どもや若者たちに「本の多様性と素晴らしさを知っていただく、とても貴重な場」として図書館は非常に重要な存在だと私は思う。

だが、館長さんたち共通の悩みが「60歳以上の方々の利用が増え、全来館者の50%を超えた一方、若者の利用者がどんどん減っていること」とうかがい、「買うか、借りるか」以前に「買わないし、借りない」若者たちにいかに本との出会いのキッカケをつくるかを、出版社は必死で考えねばと思った。

私の娘二人は、図書館が近くにあったおかげで、自然と多くの良書と出会え、本が大好きになった。本当にラッキーだったと今でも感謝している。
そんな私は、「図書館が本のテーマパーク」になって、子どもや若者たちのもうひとつの居場所になったらいいなぁと常々妄想している。
そんな日を夢みながら、全国各地の図書館長さんと心がつながる「旅」に私は出たい。

玉越 直人
デジタル社会の行く末
2018年6月6日
今回は「さらば、ガラケー」「デジタル漂流記」と続いた私のアナログぶりをさらした3部作の最終回。
初めて「携帯電話」なるものを所有した94年当時の状況から入るが、「電話」といっても、メール、インターネット、カメラなど、様々な機能をもつ「ケータイ」に、最初は操作すらおぼつかなかった私だが、必要に迫られ、何とか周囲に追いついた。
こうした、私のようなアナログ人間にまで携帯電話が一気に普及した背景には、不採算で困っていた公衆電話をなくすNTTの戦略があったのは周知の通りだ。

そんななか、同時期に、これもクレジットカード会社の戦略に乗り、現金に代わるカード支払が一気に普及。
そうこうするうちに、「Suica」も登場して、「釣りはいらねえ」とばかりに万札飛び交うバブル時代を経験した私には信じがたかったが、キャシュレス社会が大到来。
財布はいつしかカードケースに変わり、「財布を忘れてもさほど困らないが、携帯を忘れると大変!」な時代がきた。
それに合わせたように、スマホの高画質化により、私も仕事で愛用し、常にカバンに入れていたデジカメの出番が徐々に減ってしまった。

だが、ともかく「メール」の登場が、私も含む編集者の仕事を一変させた。
著者の方から「メールのやりとりだけで、編集者と一度も会うことなく、著作が届いた」という、信じられない話も聞いた。
「メールが編集の世界を変えた」とは言い切れないが、著者と編集者の長丁場の本作りは、「人間対人間」のある種バトルであり、ケンカもできる信頼関係が非常に重要だと信じる私は、大きな不安も感じている。

もちろん、デジタル世代のもつ「未来を拓く力」は大いなる希望であり、私のようなアナログ世代こそ、学ばなくてはならないことがたくさんあると自覚している。
「デジタル・ワールド」に生きる人々と「紙の本」との出会いを創造しなければ、この業界に明日はない。

AI時代を迎え、パソコンを使えないスマホチルドレンが増えていると聞くが、今から24年前、私が慣れない携帯電話の操作に困った頃には、まさかこんな事態が起こるとは想像もつかなかった。
電車内で乗客がみな黙々とスマホを操作する姿を見ると、私のような者こそ、デジタル化社会の行く末を見届けるべきではないかという気持ちも起きてくる。
そして、その予測不能の世界が、せめて「人に優しい社会」であることを望みたい。

玉越直人
デジタル漂流記(「さらば、ガラケー」続編)
2018年5月14日
前回、20数年使ってきたガラケーをやめた話から、懐かしい「ポケベル」「自動車電話」登場の話にふれた「さらば、ガラケー」の続編を書くことにする。
「新米編集者時代は、ワープロもFAXもなく、ソートもない旧式のコピー機と、ダイヤル式の黒電話だけで仕事をやっていた」と周囲に話すと、若い方からは「よく、それで仕事、できましたね?」という素朴な疑問が出るが、それもおかしくない世界。
ただ、1980年前後の話で、そんな大昔ではなく、逆に言えば、これだけの道具だけで日本は世界一にもならんとする経済成長を遂げたのだから、当時の日本人はすごかった証ともいえよう。
そして、デジタル化そのものを牽引し、世界を制したのも日本。
ソニー、パナソニックの時代だった。

本題のデジタル化の流れに戻る。
その後、以前から輸入されていた商社が使うような英文タイプライターは、あっという間に和文タイプに改良され、その進化系が「ワープロ(ワード・プロセッサー)」。
なにせ、キーボードに、文字を打ち込めば、自動変換してくれて、キレイなタイプ文書になって印刷できる、魔法のような文章作成専用コンピュータの登場だった。

「玉越、ワープロなら、東芝の<文豪>がいいぞ」という先輩におされ、悪筆で参っていた私は飛びついた。
編集者から著者の方への手紙は、今でも「手書き」が原則だと思うが、その投函相手の先生からメールで返信がくるようになってからは、メールのやりとりが主流になり、「手書き」が希少価値になっているようだ。

ただ、そのメールすらなかった時代に登場した大発明は「FAX」。
この文明開化には正直驚いたし、目にみえる形で、仕事の流れが変わった。
たった数枚の原稿をいただきに、夏の盛り、軽井沢の別荘で執筆中の先生をお訪ねし、帰りの列車に飛び乗るなどという経験をしてきた身だっだが、著者の仕事場にFAXが置かれるようになり、一気に昔話になった。
その陰で、編集者と著者との関係性が希薄になった弊害は大きかったが、締切時間に追われる先生に時間の余裕が生まれたのも事実だった。

だが、今のメール時代よりマシなのは、少なくともFAXの表書きだけは、双方手書きだったことだ。
それも今では遠い昔。
デジタル化のなかで過去の話になったが、私は今でも、FAXにはまだ人間味が残っているようで、実は密かに愛好している。

さて、初めて携帯を使ったときのシーンまでなかなか辿りつけないので、急ぐが、その前にMACの話だけ・・。
創業間もなく、金もなく、超アナログ人間なのに新しいもの好きな私は、100万以上した「マッキントッシュ」を借入金で購入した。
これは明らかにバクチだったが、第一号社員のコンピュータ好きの女性社員は、あっと言う間に使いこなし、「シャッキントッシュ」と笑って愛用していたのが懐かしい。

やっと本論。
そして、WAVE出版創業から8年目、1994年に購入したのがNTTドコモの携帯。(PHSというのも先行していたが、小さすぎて、私の大きな手には合わなかった)
それから数回機種変更も経たが、最初の機種は、実は今もわがデスクの中に眠っている。
携帯をもつことで、もちろん私の生活は公私ともに一変したが、それに続くパソコン、インターネットの登場により、出版社の仕事すべての根底が変わった。
その波に乗り切れていない、時代遅れの私のデジタル漂流は今も続いている。

次回は、そのあたりの日々から始めさせていただくことにする。
ともかく、長い長い漂流記なのである。

玉越直人
さらば、ガラケー
2018年4月11日
さらば、ガラケー

新年度スタートに合わせ、20数年以上愛用してきた携帯電話を解約した。
6年前からは、必要に迫られ、スマホも使いはじめ、二刀流できたが、「さすがに時代遅れ」と、ガラケーを卒業、進化したということになるが、私がアナログ派であることは変わらない。
一刀流のいいことも多々ありそうだが、手元不如意な面も正直あるが、そんなことを考えていたら、携帯電話を最初に手にした頃のことを思いだして、懐かしんでしまった。

出版社に入社した40年前は、もちろんパソコンも携帯もない時代。
入社して配属された編集部には、「ダイヤル式の黒電話」が回転式の電話台にデーンと乗っていて、新米の私は、ベルが鳴ると、一番に立ち上がって電話をとり、先輩・上司に手渡すか、内線で回すというような毎日だった。
まさに超アナログ電話で、プッシュ式の短縮登録機能もないから、電話帖を見ながら、外線のときは、「ジーコ、ジーコ」と、人差し指でダイヤルを回していた。

そんな職場風景のなかで、著者の先生のご自宅、担当取材先の電話番号を暗記している編集者には尊敬の眼差しが・・。
たしかに、編集長が何も見ずにいきなりダイヤルしている姿にはプロを見た。
記憶力に自信のない私は「これは参った」と思っていたら、運よく、プッシュ電話が社内に普及、内臓電話帳が出現したので、本当に助かった。

そうこうしているうちに登場したのが、「移動電話」。
戦場で使う無線機みたいな大きなものを使うビジンスマンを見たこともあるが、驚いたのは「自動車電話」。
TVのニュ−スでは見ていたものの、なんと最初に直に見たのは、同級生の新聞記者が社旗付きハイヤーで会社に立ち寄って、そのあと、銀座まで同乗したとき。
彼がおもむろに、車内から電話取材する様を見て、たまげた。
こんな若造が、アメリカ映画に出てくるリムジンに乗った大富豪みたいに、ふんぞりかえって・・。

そう、「ポケベル」という、「たまごっち」みたいな形をした、無線呼び出し専用器が大普及した時期もあった。
ズボンのベルトなどに留めて使うのだが、どこにいようがお構いなく、会社のデスクからベルだけがピーピー送信されてくる。
その発信元表示を見て、素早く公衆電話を見つけるかして、社に電話する仕組みだが、「犬の首輪」、「社畜の証」のようで、縛られ感が強く、みんな嫌がっていたが、時代と急用には勝てなかった。
そして公衆電話に急ぐビジネスマンの姿が急増したのを覚えているが、それも今となっては、また懐かしい。

あっ、この調子では、まだまだ本論の私の携帯デビューにまで辿りつけそうもないので、続きは次回に回すことにする。
ともかく、まさに時代はFAX、パソコン、携帯電話、メール、インターネット、Lineへと驚異的に進化していき、私の「デジタル漂流」は続くのだった。

玉越 直人
別れの覚悟
2018年3月26日
都心では、驚くほど早く桜が満開となった。
例年なら、4月初め、社の近くの武道館で連日行われる大学入学式で新入学生を祝福する桜だが、今年は同館での卒業式を終えた袴姿、スーツ姿の卒業生を、隣接する桜の名所、「千鳥ヶ淵」に誘っている。

そんな、出会いと別れの季節。
別れは常に寂しく、辛いが、齢を重ねると、否が応でも「大切な人との永訣」も多くなる。
そしてその度に、別れの覚悟をもって、出会った人を宝にしなければいけないのだと痛感する。

今年初めも、30年以上前のサラリーマン編集者時代から通っていた新宿ゴールデン街のBAR「花ノ木」のママが急逝された。
社を起こしてからは、ことあるごとに店に行き、人生の先輩、ママの包容力に甘え、親にも言えないような話も随分聞いてもらってきた。
そんなとき、ママは、的確なアドバイスの後に、私の創業した頃の想い出や「WAVE出版のあの本が面白かった」と鼓舞してくれ、私には欠かせない存在になった。

去年の暮れも、娘を連れて飲みにいき、いつもと変わらず、社会問題、本の話から始まり、最後は、娘の気楽な相談相手にもなっていただき、「よいお年を」と言って別れた。
それが最後になるとは・・。

新年1月11日の朝、布団のなかで「静脈瘤破裂」で亡くなったそうだが、その前夜も、いつも通り深夜まで店に立ち、帰宅されての翌朝だったという。
訃報を聞いてひどいショックを受けたが、いかにもママらしい最期だと、私は悲しさのなかに、不思議な愛しさを覚えた。

ママの広子さんは、『復讐するは我にあり』などの異色作で有名な芥川賞作家、故佐木隆三氏の最初の夫人であり、2人の男子を授かったが、離婚。
その2年後に一人で開いたのが「花の木」で、45年目を迎えたところだった。

新宿で行われた通夜は、常連、知人・友人、マスコミなどで長蛇の列。
通夜ぶるまいの席も、たくさんの人で溢れかえったが、何時になっても、誰も帰らない。
最後は、「花の木、花の木、ヤットサー、ヤットサー」という掛け声とともに、ママが始めた「高円寺阿波踊り・花の木連」メンバーが踊りだし、会場はさながら祭りのように盛り上がった。
ママが望んでいた通りの陽気で賑やかな「惜別」となったわけだが、「自分のときもこうしてほしい」と、私は心の底から願った。

思えば、ママの人生こそ、数え切れない「別れ」、そして「悲しみ」と「愛しさ」を、一人で乗り超えであろう女性の、まさに「覚悟の人生」だったはずだ。
たった一度だけの貴重な想い出だが、ママと夜桜見物をしたことがある。
新宿で満開の桜を見ていたら、懐かしい笑顔が蘇ってきた。
孤高の人生を生き抜いたママのご冥福を深くお祈りしたい。合掌。

玉越直人
『社長という病』
2018年2月21日
『社長という病』日本には、自営の方を含めると、全国で400万人を超える「社長」がいます。
大企業のサラリーマン社長はそのごく一部で、ほとんどが中小企業の社長であり、私もその一員です。
もちろん、社長といっても、夜は銀座のクラブで、休日はベンツに乗ってゴルフ三昧という方から、「陸王」や「下町ロケット」のような熱血仕事人間、映画『フーテンの寅さん』に出てくる人情社長「タコ社長」などなど、その姿は様々です。

でも、社長のはしくれとして、30年会社を経営してくるなかで、社長は見た目や言動だけでは本当の姿が見えないものだということを知りました。
それは、「社長という職業は、人生そのもの」であり、すべての社長には、信頼する社員や家族にも言えない悩み、孤独の苦しみがあると共感したからです。
売上不振、資金繰り、銀行借入、個人保証・・。
その重責と不安、怖れが、社長の小さな肩にのしかかってきます。
そして、その苦悩は、お客さま、取引先、社員、家族、すべての人々への、自らの責任を常に考え、誠実に生きる小さな会社の社長さんに共通する「心の病」でした。
ゆえに、社長病が悪化すれば、会社が倒れてしまう危険も大きく、早期に解決しなくてはなりません。
この本は、そんな「社長だけの病」への処方箋を示したものです。

著者の富樫さんは、全国で一世風靡したフードカフェ「イタリアン・トマト」事業を成功させた立役者として、大成功をおさめながら、不慮の事態により、大転落。
「社長という病」に侵され、死線をさまよいながら、再生を果たした社長です。
「なぜ、富樫さんは、重度の病を克服できたか」といえば、絶望の淵にありながらも、人に
優しく、希望を持ち続けながら真摯に働く社長さんたちの姿から、「絶望と希望は、実は表裏一体」であり、「絶望が希望に変わっていった」からだと言います。

失敗しても、失敗しても立ち上がっていく社長
あれだけ嫌な思い、苦しく辛い思いをしても、立ち上がる社長
たとえ、どんなに過酷な状況の中にあっても、自尊心を持ち続ける社長
日々の暮らしがとても苦しくとも、常に人に優しい社長

それは「社長という厳しく孤独な人生を営む」者特有の雄姿であると私は思います。
本書は、中小企業の創業者、経営者のみなさまに忍び寄る精神的危機にどう乗り越え、希望ある人生を送ればよいかを具体的に記した「社長のための生き方本」ともいえます。私も読者の一人です。
私は、社長を続ける限り、微力ながら、私も含め、孤独な社長さんの「心の杖」になれるような本を次々と贈り届けていきたいと考えています。
「社長という喜び」が日本中に広がっていくことを夢見て・・。

玉越 直人
『純忠 日本で最初にキリシタン大名になった男』
2018年1月21日
『純忠 日本で最初にキリシタン大名になった男』













1月24日発売の小社新刊小説『純忠』(清涼院流水著)は、私が直接編集にあたってきた格別思いの深い本なので、本欄で紹介させていただく。
この小説の主人公であり、歴史上の人物「大村純忠(すみただ)」をご存じない方も多いかと思われるため、純忠の人物像などを以下に。

 戦国時代、「九州最強の大名」と謳われた有馬晴純の次男として、織田信長より1年早く生まれた「勝童丸」は、有馬配下の大村家に養子に出され、家督を継ぎ、ザビエル来日の前年、18歳で当主「大村純忠」となった。
だが、その陰で、純忠と兄弟同然だった同家の嫡男が後藤家に養子に出され、「後藤貴明(たかあきら)」となったことで、この義兄弟の運命は激しく引き裂かれた。
「純忠が自分を裏切り、故郷・大村と大村家を奪った」と、かつては愛した義兄を逆恨みした貴明は、生涯の仇敵となり、幾度も純忠を苦しめ続ける。

その純忠が、果てしない戦乱の日々のなかで30歳を迎えた頃、「伴天連(バテレン)」と呼ばれる南蛮人たちが彼を頼り、純忠の領内で「デウス」なる異国の神を布教する許可を求めてきた。
好奇心旺盛で、進取の気性に富む純忠は、南蛮人たちの語る異国の話に魅了され、デウスの摩訶不思議な教えにも関心を強め、次第に傾倒。
1563年、純忠は洗礼を授けられ、ついに「日本初のキリシタン大名」となる。

 キリシタンとなった純忠は、荒技も伴いながら、領内に布教をすすめ、領民およそ6万人がキリシタンとなり、日本を代表するキリシタン王国を生んだ。
そればかりか、国際貿易港・長崎を開港し、「天正遣欧少年使節」をローマに派遣して世界史に名を刻んだ大村純忠だが、その後の「禁教」のためか、母国・日本では、その生涯はほとんど知られていない。
信長と同世代で同時代を生き、信長よりも進んだ時代の先端性を持っていたといえる唯一の戦国大名、純忠。
本書は、この知られざる革命児の波乱万丈の人生を描いた初の小説である。

大作誕生の功労者は、もちろん、7年間心血を注ぎ書き上げた作家の清涼院流水先生だが、実はもう一人の人物の存在があった。
1987年から通算6期、この小説の舞台である現長崎県大村市の市長を務めた松本崇氏である。
市長在職中に無実の罪で220日間勾留。その後、奥さまの自殺、次男の急死、脚の難病など、押し寄せる苦難を乗り越え、不屈魂で復活当選。
財政赤字を一気に黒字化し、「日本一住みたくなる街」を創った奇跡の市長であり、私が深く敬愛した方だった。
(その壮絶な生き様は、小社刊・松本崇著『不屈魂』『負けてたまるか』に詳しい)。

その松本氏は、車椅子市長として全国に名を馳せたが、敬虔なクリスチャンであり、「遠い戦乱の時代に苦しむ庶民にキリスト教を広めた、地元、大村が生んだ世界的人物、大村純忠」の存在を、現代日本人に知ってもらうことをミッションとしており、お会いする度に、私にその気持ちを熱く語ってくださった。

1冊の本が生まれるためには、「情熱」が不可欠であり、まさに、松本氏の情熱を受けてできあがった本が、ついに書店に並ぶ。
だが、市長は、本書上梓を見ることなく、現役市長のまま、2015年10月25日、突然天国に旅立たれた。
本書を天上の松本崇氏に捧げたい。


玉越 直人
ネットいじめをなくす手段
2017年12月26日
東京都八王子市に事務局を置く「YES運動」という市民活動があります。
人生を否定的(NO)にではなく、肯定的(YES)に生きようということを提唱する活動で、私もその理事をさせていただいていますが、運動の精神は、以下のように、とても平易なものです。

「自分を大事にしましょう。自分の回りにいる人や大切にしましょう。人と人を比べることなく、その人らしくあることを大切にしましょう。困っている人に寄り添いましょう。まず相手の話をよく聞きましょう。あたたかい思いやりの言葉で話しましょう。共感する気持ちを大事にして、相手に伝えましょう」

つまりYES運動は「いのちを支え合う活動」です。
そして、その事務局長をしている八王子市在住の富樫康明さんは、小社刊『それでも人生にYESを』という書籍の著者でもあります。
その富樫さんが「子どもたちのネットいじめ問題」に強く心を痛め、「防止策を考えています。

ご承知のように、普通のいじめと異なり、24時間、365日、昼夜を問わず行われる「ネットいじめ」は本当に怖いものです。
富樫さんは、潜伏するネットいじめから、子どもたちを守り救うために、「子どもたちにも人権という権利がある」と提言されています。
そして、ネットいじめを抑止するための有効な手段として、「名誉棄損」「侮辱罪」「肖像権」「プライバシー権」などの法律に「法的制裁措置(削除命令や損害賠償請求など)があること」を、加害者への内容証明郵便などで警告、示唆し、それが抑止・停止効果を生む有効な方法としてとらえています。
「法的制裁」というと、何か怖いものに思えますが、冨樫さんはむしろ、こうした法律の怖さを知らない子どもたちが、違法者として法的制裁を受けないように願う気持ちが強くあるのです。

年の瀬、すでに学校は冬休みに入りましたが、実は、この期間中こそ、いじめ自殺が一番多く、そんな楽しいはずのお正月もない子どもたちのことを思うと、胸が張り裂けそうです。
この世界から、こんな悲劇がなくなることを心から願い、富樫さんと協力しながら、撲滅のための活動を続けたいと思っています。


玉越 直人
美しいものが美しい
2017年11月17日
美しいものが美しい




月初、信州、松本市を訪ねた。
季節を問わず、学生時代から通い慣れた街は、予想外の温かい日差しで迎えてくれたものの、市街から望む山々には、早、紅葉も始まっていた。

目指すは「松本民藝館」。
創立者の丸山太郎氏は、松本市の老舗問屋の長男に生まれたが、東京・駒場にある「日本民藝館」を訪れた際、展示されている雑器の美しさにふれ、本物の美に開眼。柳宗悦氏が提唱する「民藝運動」の素晴らしさを体感し帰郷した。
そして、郷里の松本で、民藝の心に沿った作品を創作するとともに、民藝運動の中心的な担い手となった。
バーナード・リーチ、浜田庄司なども、松本に丸山氏を訪ね、交友を深め、丸山が創作した「卵殻貼」には、「日本で君一人の仕事である」と言わしめたほどである。
晩年、民芸品を集め、私財で建てた「松本民藝館」は、アルプスを一望する市の郊外に静かに佇んでいる。

「民藝運動」とは、1926年(大正15年)に柳、浜田らによって生まれた生活文化運動であり、当時の工藝界が華美な装飾品が主流だったのに対し、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝(民衆的工藝)品」と名付け、美術品に負けない美しさがあり、美は生活の中にある」と唱えた。

実は、この丸山太郎氏は、私が深く尊敬し、何かの折には、私の創業理念を支えてくれた人物である。
それは、丸山氏が、無名人の作品にどれだけの美しさを見出だしたかを想像すると、「無名な方の本つくり」にこだわってきた出版人として、本と民藝品の違いこそあれ、同じ想いを感じ、限りない勇気をいただけるからだ。

「松本民藝館」の展示室入口には、丸山氏の直筆で、無名の人が造った民藝品の美を語る「美しいものが美しい」という表題の言葉が掲げてある。

「何が美しいかと申しますと、色とか模様とか型とか材料とか色々あります。その説明があって物を見るより、無言で語りかけてくる物の美を感じることの方が大切です。
何時、何処で、何に使ったかと云うことでなく、その物の持つ美を直感で見て下さい。
これは、ほとんど無名の職人達の手仕事で日常品です。美には国境はありません」

そう、美には、有名、無名、はないのだ。


玉越直人
背表紙
2017年10月12日
ノーベル文学賞にカズオ・イシグロ氏決定の報を聞き、連休初日、自宅の本棚を探した。
背文字を追って、下段の隅にあった『日の名残り』(早川書房刊)をみつけたときは妙に嬉しかったが、いつ頃、どこでこの本を購入したのか記憶がまるでないことに気づいて、いささか参った。
本との出会いは、人との出会いのように思うし、それはいつも本屋さんの棚の前。
そんなに昔ではないはずだし、こんな名作との出会いなのに・・・。

思えば、一人で本屋さんへ行き、本を選ぶ習慣が始まったのは、中学2年の頃。
もっとも、貧乏中学生の身には、自由に購入するだけの小遣いや貯金もなく、立ち読みしては、近所の図書館に走るのが常だったが・・。

なかでも「文学」という棚にぎっしり並ぶ、大人の世界、未知なる世界へと呼び込む本たちに魅了されていたあの頃は、今思えば、ちょっと危ない時期だったのかもしれない。
だが、今も本屋さんで、棚にぎっしり並ぶ本の背表紙をずっと辿っていく瞬間がとても好きなのは、あの頃の本との出会いがあったからだと感謝している。

そういえば最近、「電子書籍と、紙の本の違いは、『背表紙』があることだ」と、業界外の方に言われる機会が続いた。
そういえば、当たり前になってしまっているが、紙の本の背表紙が並ぶ本屋さんの棚には、ぬくもり、やすらぎ、特別な安心感があると、私は思う。

そこで今日は、1年で一番旅に出たくなる大好きな季節に、つい先日、本屋さんの棚で出会った、時空を超えた旅の佳作『パタゴニア』(ブルース・チャトウイル著・河出文庫)を読み始めることにした。
読書週間も近づく、もう、すっかり秋の夜長である。


玉越 直人
新しい女性の生き方を応援したい
2017年9月14日
新しい女性の生き方を応援したい













小社は、1987年の創業直後から「働く女性を応援する」シリーズとして、仕事で頑張る女性向けに、エッセイ、ビジネス書、両ジャンルでたくさんの本を出し続けてきた。
代表的な本に『彼女が総合職を辞めた理由』『ビジネス・ゲーム』(『母が教えてくれなかったゲーム』の抄訳版)『彼女たちが成功した理由』『妊婦だって働くよ』『ニューヨーク自分さがし物語』など。

思い出深い本ばかりだが、なかでも『彼女が総合職を辞めた理由』は、時代の波に乗った本として印象深い。
女性総合職どころか、まだ結婚や出産で退職する女性が多かった時代。
男女雇用均等法の施行により、女性総合職制度が生まれたのが1986年。
いきなり、男子校に女子が入学してきたようなもので、組織内、現場でたちまち、様々な課題が噴出し、総合職女性は苦悩した。
著者の秋葉ふきこさんは、その女性総合職一期生。
それも都市銀行という、転勤も多い超男世界だった。
その現状と問題点に切り込んだ未来への考察に富んだ内容は、大きな話題を呼び、メディアが殺到したが、そこには、同じ悩みを抱えているであろう女性記者の姿も多かった。

そして、もう1冊は『母が教えてくれなかったゲーム』。
これは、アメリカで大ベストセラーになった本の翻訳書で、女性が組織でイキイキ、上手に働くためのバイブルとして、「働く女性」を応援し、日本でもベストセラーとなった。

その出版から25年近く経ち、女性の社会進出は飛躍的に拡大し、働く女性の姿は大きく変容した。
今、社が出版の柱としているのが、それを背景にした「新しい女性の生き方・働き方」を伝える本である。

その中心にいるのが、小社刊『可愛いままで年収1000万円』でベストセラーデビューを飾った宮本佳実さん。
「ワークライフスタイリスト」として、自ら週休5日の「ゆるふわ」生活のなかで、常識にとらわれず、思い通りに生きるスタイルを実践し、年収は軽く1000万円。たちまち日本中の若い女性の注目を集める存在となった。
その宮本さんの新刊『「売れる私」になる方法』が、発売早々、売行好調である。

不遇の時期も長かった宮本さんは、ファンを獲得することが「売れる私」になる路だと信じ、地道な努力からスタートし、見事に成功した。
その動きの中で重要なのは、毎日欠かさず「ブログ」を書き、自分の想いを伝え、共感してもらうこと。
つまり、日々、最強のプレゼンテーションをし続けたことだろう。

どんなビシネスでも、「集客」が一番難しいものだが、資金のない宮本さんはSNSを駆使して、その「路」を開いた。

あとがきにも書かれているが、「売れていても、いなくても、どっちでもいい。どっちにしても、私はすごいから」「自分の幸せは、他人の評価で決まるものではなく、自分で決めるもの」「自分で自分のことを認められたら、自分が認めたように、人も認めてくれるようになる」。
宮本佳実語録は、シニアの私にも響く。

私は、これが、日々変貌する現代社会の中で、自力で新しい価値観、働き方、生き方を見出した女性たちの美しき姿の象徴だと思う。

こうした宮本さんのメッセージを受けたファンの中には、「売れる私」になった方が続出している。
もちろん、あなたも例外ではない・・・。

玉越 直人
心に響いた言葉
2017年8月10日
心に響いた言葉残暑お見舞い申しあげます。
今年の猛暑は確かに異常で、朝の天気予報を見るたび、地球はどうなっているのか不安になるが、それ以上に異常なのは、テレビに映る政治家、教育事業者、女優たち・・・。
人間のやることだから、ゴシップはつきものとはいえ、ここまでメディアに大サービスするような言動こそ、異常。

猛暑を避け、ありえない異常ニュースから逃れたいと思うのは、私だけではないと思う。
ただ、生活者である身には、そうは言っても日常は続く。
せめて、「緑陰の読書」といきたいところ。

そこで今日は、私の心に涼風を当ててくれた言葉を紹介させていただく。

まずは「わたしのために、あなたはいた」
『それでも人生にYESを』著者、富樫康明氏たちと一緒に始めた「YES運動」の年長仲間から聞いた話。
若かりし頃、人生に彷徨っていた頃出会った女性との数日間が、彼の人生を大きく好転させた実話である。
何十年経った今でも鮮明に残るという出来事なのに、その女性の行方はいまだわからず、「その女性は、自分のためにいた」人だと思えると・・・。
恋愛感情を超える、不思議な出会いだったという。
「あなたのために私はいる」という言葉はよく使われると思うが、この言葉をどう解釈するか、凡庸な私にはまだ整理がつかず、この夏の大事な宿題のつもりでいる。

そして、次は最近亡くなられた渡辺和子さんが自著『幸せのありか』(PHP研究所刊)のなかで書かれている言葉。
「幸せとは、自分のことが忘れられている状態、他人のために存分に働くことができる状態だということ」
それぞれの人が望む幸せの形は異なっても、「無私無欲が自分の幸せな状態を生む」という、茨の路を歩んだという高名なシスターの言葉には、重みがある。

最後は、太宰治『思案の敗北』の中の名言。
「笑い、これは、つよい。文化の果ての、花火である。理知も、思索も、数学も、一切の教養の極致は、所詮抱腹絶倒の大笑いに終わる」。

実は先日、私は江戸川花火大会を観てきた。
一番眺めのよさそうな場所を占める「有料席」もあるが、貧乏性の私は、河原のはずれに持参のシートを引き、コンビニ焼きそばとビールで鑑賞したが、周りにはそんな家族連ればかり。
そんな、一生懸命毎日を生きる庶民を祝福、応援するように、花火が咲き、祝砲がなる。
ドカーン。
太宰が口を開けて笑っている・・・。

玉越 直人
図書館という世界
2017年7月11日
休日の昼下がり、ふらりと図書館に行き、窓際の明るい閲覧コーナーで借りた本を読むのが、楽しみになっている。

中学時代に「本の虫」になった少年タマコシは、今もある近所の図書館に通い、目いっぱい背伸びして「大人の本」を読み漁ったものだ。
平凡社の百科辞典が鎮座していたような、厳格な家庭の末っ子に生まれたボクには、自由に本が読める図書館は「禁断の園」のような世界だった。

そんなある日、私は、石川達三の『結婚の生態』という本に惹かれ、手にした。
まず、本を開いてビックリした。
なにせ、1頁目から、「結婚は、孤独からの自殺であるとも考えた」と書かれてあるのだから・・。
そして、読み進めていくと、ボクが「想像」したような内容ではなく、恋愛、結婚という人類最大のナゾに挑む人生論のようなもので、さすがに、ニキビ面の中学生には難しすぎた。

それでも、この作家の本の書名に好奇心を刺激されている自分がいた。
なかでも『私ひとりの私』。
この本はまたすごい書き出し。
「人間は誰しも、他人から完全に理解されるということは有り得ないだろう。誤解されたままで生き、誤解されたままで死んでゆく。結局は孤独なのだ」。

「孤独」という言葉が、ボクの脳裏深くに潜り込んだ瞬間だった。

話が飛ぶようだが、本欄でも触れた30周年記念出版『日本の時代をつくった本』に対し、専修大学の植村教授が以下の賛辞を贈ってくださった。

*******
『日本の時代をつくった本』は、「私という人をつくった本」でもある

「日本」と「本」の間を媒介するのは、本を読んで勇気づけられ、
情熱を燃やし、学び、感動した「人」である。
本によって私という人がつくられ、その人々が日本の時代を
つくりあげてきたのである。
本書を読みながら、「私という人をつくった本」の数々を思いだし、
リストをつくってみてはいかがだろうか。
*******

過分なお言葉ではあるが、もし、私がこのリストをつくったならば、この2作がラインナップされることは間違いないだろう。

みなさまなら、どんな本のリストをおつくりになられるだろうか?
興味津々である。

玉越直人
BAR
2017年6月21日
会社の近くにある「銀の塔」という老舗ウイスキーBARを火曜と木曜の晩だけお借りして営業していた「BAR WAVE」を今年3月末で閉じた。
ちょうど4年間の営業期間だった。

もともと、すぐ近くで出版社を経営する親友が、面白い店があると連れていってくれたのが「銀の塔」との出会い。
オーナー姉妹がカウンターに立つレトロで温かい雰囲気の店がすっかり気に入って、私はよく、その親友と店に通ったものだった。
だが、その親友は、2012年8月に山岳事故で急逝した。
尊敬する出版人であり、兄貴のような存在の彼とは20年以上、毎週のように呑み、語り合い、誰よりもいつも一緒だった……。

突然の「喪失」は到底耐えられるものではなく、それからは一人寂しく「銀の塔」のカウンターの隅っこに座り、ママに慰められるような日が増えた。
そんなある日、「BAR WAVE」の構想が浮かんだ。
親友とは「本を読む時の相棒はウイスキーに限る」「左手に本。右手にウイスキー」などと言っては、酒場でいつも最近読んだ本の話をしていた。
そんな想いから、ママに私の好みの本を置かせていただくことを了解していただき、「BOOK BAR WAVE」が誕生した。
開店の日には、親友の大好きだった「BOWMORE 12年」で、遺影に向かって献杯した。

その日から、あっという間の4年間だったが、本当にたくさんの方々がBARを訪れてくれた。
出版社、取次、書店の方々、著者、知人、友人、同級生、ご近所にお住まいの方、勤務帰りの方、学生……。
ともかく、私はこの店を「梁山泊」と称し、仲間が集い、見知らぬ人が隣り合わせ、自由闊達に語り合う姿をカウンター越しに眺めながら、酒を作るのが楽しかった。
ラッキーなことに、そんなBARを手伝ってくれるチーママが現われ、店は華やぎ、「みんなの居場所」は「私の居場所」ともなり、かけがえのない場所に……。

ママのやむを得ない事情で閉店してから今2カ月余り経ち、「居場所」を失った私は、神楽坂や神保町で知人が始めたBARに立ち寄ってみたり、社の近くの、かつてはライバル店だったBARに出入りしたり……。
そんな姿はまるで「酒場難民」のようだと苦笑している自分がいる。

だが、そんな時には素敵な友が現れるものだ。
『マクソーリの素敵な酒場』(ジョゼブ・ミッチェル著 土屋晃訳 柏書房刊)という本。
大好きな雑誌『NEW YOKER』のドル箱記者だったミッチェルの邦訳。
開業1854年という、ニューヨーク最古のBAR「マクソーリ」。
まるで時が止まったかのような、「あらゆる変化をよしとしない」店として、黙々と存在し続ける。

常連は、若い頃からこの店でしこたま酒を呑み、今は雀の涙ほどの年金で生きる天涯孤独の老人たち。
そこに、栄光などとは程遠い、貧しく寡黙で、ちょっと変り者の男たちが集う。
店内は、2台のガス灯(もちろん電気はきているのだが)だけ。客は、マグにつがれたエールをちびりちびりやる。
レジスターもなく、壁の3個の時計の針はそれぞれ勝手な方向を向いている。
もう、こう書いただけで、ゾクゾクしてくるが、この店を開いた「ジョン・マクソーリー」の「男は女がいると、落ち着いて酒が飲めない」という信条のもとに定められた「女人禁制」を、代々のオーナーはかたくなに守っている。

「BAR」という孤独な男たちが夜な夜な蝟集する「酒場」というものの神髄が全編にみなぎる作品であるが、行間には、上質で独特なユーモアが漂い、読み進むほどに、心が温かくなってくる秀作である。
さすが、常盤新平氏が絶賛したという、稀代の名文家、ミッチェルの真骨頂である。

梅雨空の下、今宵はどうか、みなさまも「左手に本を、右手にウイスキーを!」


玉越 直人
尾崎咢堂の言葉
2017年5月30日
 尾崎咢堂の言葉















過日、創立30周年の祝いにと、友人一家から、新緑の相模湖方面ドライブに誘われ、とても嬉しい一日を過ごした。

その途上、「玉越さんにはぜひ!」と案内されたのが、「憲政の神様」「議会政治の父」と言われる政治家、尾崎行雄を讃える「尾崎咢堂記念館」。
1858年(安政5年)、神奈川県津久井郡津久井村(現相模原市)に生まれた尾崎の生涯を詳しく辿ることができる見事な施設であった。
ちなみに「咢堂」は、行雄の雅号である。

もちろん、私も教科書で習ったのが始めで、「清貧の政治家」として強く惹かれるものがあり、自伝は読んでいたが、それも随分昔のこと。
憲政記念館はよく知っているが、この記念館の存在は知らなかった。

咢堂は、東京市長や法務大臣を歴任した有名政治家であり、96歳を迎える直前に亡くなるまで現役で活躍された高名な方だが、波乱の近代政治史の中では地味な存在の方なのだろう。
聴衆の心をつかむ演説の名人でもあり、「米国ワシントンに桜苗木3000本を送った」国際政治家でもあったのだが・・・。

記念館を案内してくださったボランティアの男性の、理念を貫き通した咢堂の生涯と功績についての解説に聞き入っているうちに、こんな心清く、貧しく、正義感の強い政治家が、平成の今に存在したら・・」と夢想し、自然に背筋が伸びていた。

そして、特に心に響いたのは、咢堂が遺した直筆、「人生の表舞台は常に将来に在り」という、なんと73才の時の言葉。
友人が、30周年を迎えた私を、ここに案内してくれたワケもわかった気がした。

さらに、絶筆といわれる「不恨天 不咎人」の色紙は、「天を恨まず、人を咎めず」の意味。
原典は『論語』にあるというが、「世の中が悪いといって、世を恨むことなく、他人が悪いといって、人を咎めることなく、まず自己が信ずる道を歩め」という強い精神に、凡人である我が身の日頃の狭量を恥じた。

「これからの路を、世のせい、人のせいにせず、まっすぐに進め!」と「信念の人」咢堂に励まされた私は、相模路の薫風に心洗われる一日となった。

玉越直人
創業30周年
2017年5月10日
創業30周年


























おかげさまで、小社はこの5月12日に創業30周年を迎えます。
その日を前に、私の感慨を記させていただきます。

34歳のとき、10年間世話になった出版社を辞め、「人、モノ、金」なしの無謀過ぎるひとり創業をしたことから考えると、ここまでたどりつけるとは、思ってもみなかった。
いきなり30年経ったわけではなく、1年目、2年目、3年目、5年目、10年目、20年目、25年目、25年目の節目にはいつも年月の速度には思いを馳せていたが、そして30年を迎えるまで続けられるとはと当の私自身が一番驚いている。
幾晩でも語り尽くせない厳しい道のりだった。

だが、数えれば、30年間に世に送り出した本が1150点余。
多くの方々に支えられ、縁あって入社してくれた社員たちは本当によく勤めてくれた。

出版社は、その時代、時代に、どんな本を世に送り出したか、つまり「出版目録」がすべてを語るものだと言われる。
1冊ずつの誕生日があり、書店に並んだわが子の思い出は尽きない。なかでも大ヒットに恵まれ幸運の扉が開いたときよりも、魂を込めた本が売れず、予想外の出来事でピンチに陥ったときに、自分自身が試されたことの思い出のほうが、私には色濃く記憶に残っている。

先日、出張時に訪問した京都の禅寺での講話のなかで、「人生最大の失敗は、失敗を怖れて、すべきことをしなかったこと」と高僧に説かれたが、好奇心のみでここまできた私の人生は「失敗」だらけだ。
しかし、うわべの苦しみではなく、本当の苦しみ、自分で決め、なしえたことの記憶が生きる実感となっていたことに気がついた。
「創業の重み」を今ほど考えさせられている自分はない。

尊敬する永六輔さんは「生きるということは、借りを受けて、それを返すこと」と言われた。
私の胸の奥にいつもある言葉だ。
そしてこれは、人生だけでなく、会社にも通じる言葉であろう。
数えきれないほどの善意に支えられてきたからこその小社の今がある。
著者、創作チームの方々、社員とその家族、様々な取引先の方々、仕事仲間、知人・友人、わが家族、そして何より、WAVE出版の本を購読してくださった読者の方々へ、到底感謝しきれないが、少しでも多くお返ししたい気持ちでいっぱいである。

前回の本欄でご紹介した30周年記念出版『日本の時代をつくった本』流にいえば、『WAVE出版の時代をつくった本』の「目次」には、今後どんな本が加わっていくのだろうか?
「おそれ」を捨て、「勇気」を奮って、未来に挑戦していきたい。

*5年前、創業25周年でまとめた『WAVE出版漂流記』の書影を載せます。

玉越直人
創立30周年記念出版『日本の時代をつくった本』上梓しました
2017年4月18日
創立30周年記念出版『日本の時代をつくった本』上梓しましたおかげさまで、社は来月5月12日に創立30周年を迎えます。
創業時には、30年どころか、「何とか3年は」という気持ちでスタートしたWAVE出版。

無知、無謀としかいいようもない、たった一人の創業時、自分で企画して作った本を店頭に置いていただくため、日本中の書店さんを訪問しました。
書店営業の何たるやを知らない編集バカだった私は、「ワベ出版さん?」と言われ、「まあ、ともかく、営業は本当に大変だよね、編集は勝手に本作るからね」と慰められ、「その本、私が編集したんですけど・・」と苦笑するしかなかった昔が懐かしい。

そんな私が1年前、来たる30周年に合わせ、今までお世話になった業界にわずかでもお返しできるような、特別な本を出版しようと考え、外部の先輩の方にご相談しながら企画したのが、つい先日上梓した『日本の時代をつくった本』。

たまたま、今年は大政奉還、そして明治政府が樹立してから150年目の年。
幕末から明治維新にかけては、和本から洋本への変革を遂げた出版業界の第一イノベーション期に対し、この業界の未来が見えにくい厳しい今は第2イノベ−ション期とも思え、温故知新の本が必要なのではないか。
「出版という仕事が、社会、時代にどう影響を与えたのか」、逆に「時代がどんな本を生み出したのか」を俯瞰する「出版で読み解く社会史」を、いつも頑張ってくれている社員たちと一緒に作りたいと思った。

ただ、冷静に考えてみると、類書も見当たらず、たかだか30才のベンチャー出版社が、「明治、大正、昭和、平成を貫く出版の150年を俯瞰する本を出す」というのは全く畏れ多いことであり、何度も躊躇したが、ある先輩の方の一言で決心した。「ベンチャーだからこそ、かつてない企画本にチャレンジすべきではないか」と・・。

だが、決めたはいいが、1年にわたるこの本の編集作業は、チーム全員が永遠に続くのではないかと思うほど、困難を極め、予期せぬ障害もあった。
まず500点近い候補作品の中から、最終の百数十点ほどに絞っていく「選書作業」。単なる名著の解説ではなく、選ばれた本が、「どう、その時代をつくったのか」を簡潔に綴る原稿書き。図鑑としての書影、作家写真、口絵などの収集。数々のコラム。そして、全体を通した緻密な編集作業、装丁。
編集チームを率いた社の編集部員の不屈魂には頭が下がった。
しかし、「本を救う神」あり。
この試練を支えてくださったのが、監修者の「永江朗先生」。
この企画を本当に喜んでくださり、あり余るアドバイスとお知恵を拝借した。
この場を借りて深く御礼申しあげたい。

今終わってみれば、「先達(せんだつ)の出版人たちが生きた、それぞれの時代に、どんな本を世に送りだし、時代に関わり、読者を生んできたか」を総覧しながらの編集作業は、稀代の作家、出版人から「時代を超越した知恵とパワー」をいただいた、編集者冥利に尽きる至福の時間だったと感謝している。

ビジュアルブックとして「どこから読んでも、どこから見ても、面白い本にする」が一番の目標だった本なので、出版の仕事に関わる方々に限らず、学者・研究者の方々、そして愛読家のみなさまに楽しんでいただけたらと心から願っている。

造本は、A4判・上製、オールカラー、320頁本。重量1370グラム。
創業以来作ってきた1200点以上の本の中では最も重く、定価も最高価の9000円。

思えば、創業第一作目は初版3000部。
書店に並んだ日は、朝からいてもたってもいられず、日本橋の丸善本店が開くのを待って、ピカピカのランドセルを背負ったわが子を見守るような気分でウロウロしているところを、ありがたくも平積みしてくださった名物書店員さんにみつかり笑われたが、このWAVE出版史上初本がどのような方々にお読みいただけるのか、4月24日の発売を前に、第1作目が並んだあの日のように、私はドキドキしながら、興奮している。


玉越直人
「海の京都」
2017年3月30日
先日、旧友の住む京都府綾部市を訪ねた。
彼とは実に32年ぶりの再会。
生まれ故郷で両親を看とった同年の友の静かな生きざまは、私の心に深い感慨をもたらし、帰京後の今も、彼の京都弁が耳に残る。

理学部を出て、平凡なサラリーマンになり、普通に結婚した彼だったが、やがて仕事を辞め、離婚もし、都会暮らしをやめて、32歳で郷里に戻ると聞いたときはビックリしたが、大学時代から、独特の人生観、哲学をもっていた人物なので、引き留める言葉は思い浮かばなかった。

母親を看とったのは、つい先月のことで、「これで天涯孤独。これから一人でどう生きていくか、ゆっくり考えるわ」と語る表情には、成すべきことを成し遂げた安堵感がみえ、暗さは感じられなかった。
もともと彼は「孤高の人」だったのだ。

普段はほとんど飲まないという酒を酌み交わしながら、私が全く忘れてしまった昔の出来事を昨日のことのように語る姿や口調は何も変わっていない。
それに引き換え・・と、別々の路を歩んだ長い歳月、180度違う生き方をしてきた自分のことをどこから話せばいいのか、一瞬戸惑ってしまった。
するとすかさず「玉越も変わらんなあ」と、まったりした京都弁で言われ、急に気が楽になり、酔いも手伝って、あっと言う間に、学士時代にタイムスリップしていった。
友とは、いつも助け舟を出してくれるものだ。

その綾部が生んだ偉人に「波多野鶴吉」という人物がいることを彼から聞いた。
現「グンゼ株式会社」の創業者であり、「郡是製絲株式會社」として創業した本店は今も綾部にあるという。
創業理念を社名にした「郡是」は、「郡」の「是」であり、「国是」「社是」のように、創業時の何鹿郡(現綾部市)の地場産業である蚕糸業振興を推す元農林官僚の前田正名の趣意に基づくという。

古くからの養蚕・製糸の町に、「善い人が良い糸を作り、信用される人が信用される糸を作る」という人間尊重に立った教育と優良品の生産を基礎として、地域や社会、あらゆる人々の共存を目指した創業精神には頭が下がる。近代化産業遺跡としても名高いといわれる旧社屋、従業員のための学校なども尊いものである。

ちなみに、出口なおと出口王仁三郎により「大本」が誕生したのも、この地である。
そんな歴史と文化と産業のある町だが、繊維産業の衰退に伴い人口は減少、若者は去り、高齢化が深刻となり、すっかり寂しい町になったと嘆く友人を見ると、彼はこの町で骨をうずめる覚悟なのだろうなと感じ、複雑な気分になった。

翌日は仏事で忙しいという彼と別れ、日本海に向かった。
「岸壁の母」で有名な舞鶴港そばにある、いまや世界記憶遺産に登録決定した「舞鶴引揚記念館」に入り、なんと昭和33年まで続いたというソ連からの引揚者の悲惨をリアルに伝える貴重な展示物を見て回った。
館内ガイドの話をうかがい、ソ連からの引揚者だった伯父が生涯、ソ連での抑留体験を一言も語らなかった心の闇を改めて痛感した昼下がりだった。

気を取り直して向かった日本3景の一つである「天の橋立」の美観に圧倒され、これまた有名な「股のぞき」をして、私の駆け足の旅は終わった。

帰路の駅に貼られた観光ポスターで、京都市から特急でたっぷり1時間以上かかる綾部、福知山という丹波の地から日本海沿岸一帯を「海の京都」と呼ぶことを知り、この呼び名に独特の哀愁を感じ、私は再訪を誓った。

都会では見られない景観と歴史・文化を考えると、これからずっと郷里で一人静かに暮らしていくのであろう旧友の心にほんの少しだけ近づけたような気がした、不思議な旅だった。

玉越 直人
ときをためる
2017年3月2日
東中野の「ポレポレ東中野」で、ドキュメンタリー映画『人生フルーツ』を観た。

主人公夫妻は、津端修一さん90歳、英子さん87歳。
修一さんは、戦後の住宅建設の中核を担った日本住宅公団のエース建築家。
愛知県半田市の老舗の造り酒屋で育った英子さんは、東大ボート部の合宿に自宅を貸した縁から、1955年に結婚。

「お互い、向き合わないこと。人は向き合うと、些細なことでもいさかいを起こしてしまう。ひとつの夢を一緒に見ることが大切」という生き方で暮らす二人は、夫婦生活65年間、互いに丁寧語で話し、「ひでこさん」「修たん」と名前で呼び合う。

戦後の高度経済成長のなか、ものすごいスピードでものが消費されていくなかで担った、夢のニュータウン計画は、度重なる計画変更を余儀なくされ、まったく無機質な町になったが、夫妻はそこに300坪の土地を購入、雑木林を育て、自然との共生の道を真っ直ぐ歩んできたのだった。
野菜が70種。果物が50種。ほとんど自給自足のような暮らしぶり。年金は月に16万だ。

映画では、樹木希林さんのナレーションが、言霊のように何度も流れる。
「風が吹けば、枯れ葉が落ちる。枯れ葉が落ちれば、土が肥える。土が肥えれば、果実が実る。コツコツ、ゆっくり……」
「時間に流されるのではなく、時間を、降り積もるもののように、ゆっくりためながら生きていく」

スクリーンに映る二人が雑木林のなかで黙々と働く姿に「人間らしい暮らし」とはこういうものなのではないかと考えさせられ、わが身の暮らしの慌ただしいスピードが怖ろしく、私は思わず身震いしてしまった。

またあるシーンでは、電話のベルが鳴り、受話器を上げた修一さんが、「私たちは残る人生を自由に大切にしたいので」と、多分、出版社からの執筆依頼ではないかと思える依頼の話を、丁重だがきっぱりと断る後姿が、出版人として、私の心に強く残った。

その修一さんが2015年6月に急逝した。いつも通り草むしりをした後の昼寝から、目覚めなかったという。

英子さんは、「私は古い家に生まれ、女らしくと厳格に育てられたが、結婚後、修一さんが何でも受け入れてくれて、自由にさせてくれたので、徐々にはっきりものが言えるようになった」と語っている。
「自分一人でやれることを見つけて、コツコツやれば、時間はかかるけれども、何かが見えてくる、とにかく自分でやること」と、修一さんは愛妻に生き方の基本を授けたのだった。

修一さん亡き後、英子さんは、この教えを守り、コツコツ変わらない暮らしを続けておられるという(昨年の最新刊『ふたりから ひとり』自然食通信社刊)。

二人の暮らしは、年齢を重ねることで生まれる実り、豊かな生き方を、私たちに静かに、温かく伝えてくれる。
そのお二人に、私は深く感謝している。
自分がこれから何をなすべきか、どう生きればいいのかを考える上での、大きなヒントをいただいたことに……。

玉越 直人
「しつもん読書会」
2017年2月13日
先月、書店で開催された「しつもん読書会」に参加させていただいた。
正直「しつもん読書会」というものが、いかなるものか未知のまま会場に向かったが、とても不思議で面白い体験をさせていただき、開催者の方々にとても感謝している。

会の冒頭、主催者の「しつもん読書会ファシリテーター」の方から説明があり、、「しつもん読書会」が、世界350カ所、2500名の方が同時刻にこの会に参加していると聞き、驚くとともに、出版人として知らなかったことが恥ずかしかった。

ともかく、そんな次第なので、一参加者目線で会の様子をお伝えすることにする
(今回は未読バージョンだったが。既読の場合など、バリエーションが様々あるようだ)。

まず、「未読」の書籍(小説以外)を各自1冊持参した参加者は、ランダムに4人ずつ会場内のテーブルに座わらされる。そしてファシリテーターから、「しつもん読書会とは?」と「質問項目&回答記入シート」が配られ、「3つのルール」が説明される。@「どんな答えも正解」 A「相手のどんな答えも正解(いいね! で受けとめる) B「答えがないも正解」である。

次にシートの「質問」に移るが、質問項目は、
「本を読み終わったときに、どうなっていたいですか?」
「この本で著者が伝えたいことは何だと思いますか?」
「この本に質問を3つかけるとすれば何ですか?」
「なぜ、この本がここにあると思いますか?」
など8つ。

そしてスタート。
まず初対面同士、「名前と、どこから来たか」を伝えあい、自分の本を見せあった後、ファシリテーターから、自分が書店で購入し、まだ本文を読んでいない本について投げかけられる質問の答えを時計回りに順次発表させられ、それへのコメント(「いいね!」だけでもOK)も時計回りにまた発表する。
それを8回繰り返すわけだが、最後までくると、今度は用紙の裏側に書かれている先の8つの回答を書き込み、各自発表をする。

途中で感じたことは、「読書会」は多々あるが、それは「本の紹介、感想、意見」などで、結構力んで、立派なことを言わなくてはとなりがちで、ともかく身構えてしまう。小学校のとき大嫌いだった「読書感想文」のように……

まったくその日はじめて出会った未知の方々やファシリテーターの方と、机上にある1冊の本を肴に、それを選んだ自分との出会いを語り、質問と答えを通じて行う交流は、なにかを伝えねばならないという圧力がまったく抜けていて気楽、そして温かい気持ちになったひとときだった。
人様のまえで「カバーを付けず、電車内で本を読む」、あるいは、「書棚拝見をされる」ような体験にも思われるかもしれないが、そんな緊張感も極めて低い。
書店で偶然に出会った本にひらめき、そして買い求め、それがカバンに入っているときのあのワクワク感を他者とのコミュニケーションによって共有することができる自身の万能感に変わるマジック、これは現物を手にしながらの「しつもん読書会」の醍醐味であり、電子書籍にはない感覚ではないかと、私は思った。

また、出版人の端くれとしては、「本と読者の出会い方」「生活必需品としての本の位置づけ」を考える新しいキッカケになると確信した。
たった1回の参加経験で、偉そうなことは言えないものなのですが……。

ちなみに、当日私が持参したのは、『住友銀行秘史』(國重惇史著/講談社刊)。
初版から、評価が高く、周囲に読んでいる方も多かったにもかかわらず、耳年増で、逆に未読だった。
予想以上に面白い反応を得ることができ快著であると評価された。、一方、ほかのメンバーの持参した本もどれも魅力的だった。『住友』はその後すぐに読み始め、その読後感は、イトマン事件などの歴史的事件への「タイムスリップ」を体験でき、その当時の自分に出会えたことがうれしかった。
本との出会いは、最高! なのである。

玉越 直人
チーバくん、10歳に
2017年1月24日
千葉市にある千葉県立中央博物館で開催中の「まるごとチーバくん展〜ありがとう、10周年」を見た。
千葉県の県キャラ、チーバくんの作者である坂崎千春さんは、JR SUICAのペンギンキャラクターの作者であまりにも有名なイラストレーターさん。
小社では、長いおつきあいの中で、『ペンギンのおかいもの』『ペンギンのゆうえんち』をはじめとする絵本、そしてエッセイの『片想いさん』などたくさんの出版物を手がけさせていただいており、とても光栄である。

愛くるしく、真っ赤なチーバくんは、2010年開催の千葉国体のマスコットとして2007年に誕生し、それから千葉県のキャラクターとなった。
千葉県の地形を、「形が動物みたい」と見事にデザイン化した、千葉県市川市出身の坂崎さんの発想力・想像力はさすがとしか言いようがない。
この10年間、子どもから大人まで、多くの千葉県民に親しまれ、県外の方には、千葉県の魅力を伝える、とても大きなシンボルになっている。

初日のオープリニングセレモニーには元俳優の森田健作千葉県知事も来場し、坂崎さんとチーバ君とでくす玉わりをしたという。
そのあと開催された坂崎さんトークイベントでは、チーバくんの制作秘話をスクリーンで説明しながらお披露目されたそうだ。
来場のみなさんは、坂崎さんのイラスト入りのサイン本も購入でき、「これは宝もの」と、ごきげんで帰られた方も多かったという。

さて、その展示だが仕掛けが多々あり、とても面白いものだったが、私のイチオシは「チーバくんが生まれるまで」。
千葉県の不思議な地形を、かわいい動物の姿に変えていくスケッチの流れがわかる痕跡を公開していた。そして目の位置、鼻の位置、舌の位置の変化、色彩のバリエーションなど、坂崎さんの制作過程を目で見ることができたことはとても興味深いことだった。
完成したチーバくんは、鼻先が野田市、飛び出た舌は浦安市に当たるそうだが、このメイキング展示はご当人による提案と博物館の方から聞きあらためて坂崎さんのサービス精神の旺盛さに感心してしまった。

「千葉の人は地元の魅力をPRするのがとても下手」とよく言われる千葉県民のはしくれの私。
坂崎さんのこの功績に感謝するとともに、千葉県民だという博物館職員の方と「なにか、千葉の魅力を全国に知ってもらう、いい本を作れないものだろうか」などと語り合い、「ではまた相談に」と、緑豊かな広大な公園の中に建つ博物館を後にした。
なにか、地元にちょっとした郷愁を感じた日曜だった。
坂崎千春さん、ありがとうございます。

玉越 直人
WAVE出版は何を売っているのか
2017年1月5日
新年あけましておめでとうございます。
旧年中は本当にありがとうございました。
みなさまのご多幸を祈念いたしますと共に、本年も変わらぬご厚情をよろしくお願い申しあげます。

さて正月、私は、この1年の方針を整理していたが、暮れにお目にかかった明屋書店・小島社長の「自分たちは何を売っているのか?」という言葉が胸に刺さり、「WAVE出版は何を売っているのか?」と反芻、自問する年末年始となりました。
もちろん「出版社は本を売っております」なのだが、われわれ出版社がつくって、読者に届けているものは、本だけではない「何か」であるにちがいない。

弊社の創業の理念は、「1冊の本には、読者の人生を変える力がある」である。
「本という品物」には、未知なる読者の人生の力になりたいという思いが込められており、それを実現するための「出会い」の演出にかけるエネルギーこそ、目に見えない出版社の大いなる「商品」なのだと私は思う。
事実、出版人は常にその思いあふれる「精神」を大切に守ってきたからこそ、現在があり、壮大な出版文化史が続いているのである。

一人でも多くの読者の方々に、1冊の良き本と出会っていただきたいと、日々切磋琢磨することこそ、小さな存在であるWAVE出版の存在意義であり、「売り」であると信じている。

読みたい、書きたい、編みたい、届けたい。
どうすれば、一隅を照らすことができるのだろうか。
友に救われるように、本が手にとってくれた方の助けになるような出版活動を地道に続けていきたい。

今年30周年を迎えるWAVE出版代表者の切なる想いである。

玉越 直人
出版社を支えてくださる力
2016年12月27日
出版社を支えてくださる力

私は、慌ただしい毎日のなかで1年を回想する、この「師走」が好きだ。
今年は、公私ともに、嬉しい思い出、素晴らしい出会いと共に、予期せぬ出来事、辛い別れも多々あった。
まるで人生の縮図のような1年であった。

思い返せば2016年の初春、私は「出版業界は一寸先が見えない」「イノベーションの嵐がやってくる」という危機感の中で、気構えて新年のスタートを切った。そしてその予想通り、いや想像以上に、小社は厳しい試練を受けた1年だった。

その嵐の中で、「小さな存在」であるWAVE出版は、社の存在意義を自問し、いかに新しい著者を発掘し、いかなる本を出版し、今を生きる読者の方々の期待に応えるべきかを模索する日々だった。

今年最後の「社長夜話」では、そんな怒涛のような1年の終わりに届いた、大学4年生の女性読者から頂いた、嬉しいメールの一部を、そんな厳しい時代を生きる出版社を支えてくださる力として、以下に紹介させていただくことにする。

「『WAVE出版のめざすもの』という記事の中に出版界の『活字離れ』という一文を拝見いたしました。
22歳学生である私にとって『本』は、デジタル文書とは違い、それを手に取る喜びとページをめくっていくそのものに楽しさを感じております。

現代は、SNSの発達によりその誰もが発信者であり受信者です。ビジネスモデルも生き方も『それぞれの自由』の表現スタイルが、その人それぞれの日々の生活・喜び・幸せになっていくと、感じております。

それは、肩書き・年齢・性別問わず『本人』が『そうだと』意識を変えた瞬間からその創造が始まると思っております。私はそれを、『本当に自分で創造し、現実に実現できるか?』を試したく、その一つの創造方法として、自身の『出版』も一つの理想としております。

そんな気持ちをぜひ、伝えたくこのメールを送信させていただきます。
これからもたくさんの新刊の出版を楽しみにしております。」


***********************************
みなさまには、この不定期で稚拙なコラムにお付き合いいただき、本当に感謝申しあげます。
どうか年末年始、心身共にお健やかにお過ごしになられますよう、心よりお祈り申しあげます。  

            
玉越直人
『あひる』
2016年12月7日
週末、先の芥川賞候補となった今村夏子氏の短編『あひる』を読んだ。
本候補作は、私が尊敬する編集者の田島安江社長が営む福岡の出版社「書肆侃侃房」さんの文学ムック「たべるのがおそいVOL2」から生まれた。
候補になったという情報が入ったとき、「侃侃房」さんの作品であることももちろんだが、地方出版社の作品が候補になることは数少ないことから、私はわがことのように嬉しかった。

惜しくも受賞は逃したものの、同作で家族や近所の子どもたちとの何気ない日常の中に潜む感情を澄んだ文章で綴りながら、行間に不思議な「不穏さ」を漂わせた「今村ワールド」に、私は引き込まれた。

『あひる』は、父親の元同僚が転居のために飼えなくなった、あひるの「のりたま」が、主人公の家に来た日から始まる。
それからの自分、両親、「のりたま」を学校帰りに見にくる子どもたちなどの心に起きた変化、死別などを通して、日常というものの幸せと危うさが巧みに描かれている。

私は、この秀作を読むうちに、「遠い記憶」が鮮明に浮かんできた。
結婚して間もない、まだ子どものいないサラリーマン編集者時代の出来事である。

ある秋の晩、妻と行きつけの新宿ゴールデン街の店で呑んだ帰り、彼女がふと交番の前で立ち止まった。かすかな鳴き声が聞こえるという。
耳を澄ますと、どうやらそれは交番の向かいにあるゴミ捨ての方からだった。
音に近づき、恐る恐る黒いビニール袋を開くと、半死状態の、生後間もないであろう赤ちゃん猫が2匹寄り添っている。
慌てて交番の警官に事情を告げ、すぐに獣医さんにと思ったが、さすがの新宿も、もう獣医院が開いている時間ではなかった。
急いで家に連れ帰り、すぐにミルクを飲ませようと思ったが、衰弱していて自力では飲めない。
はっと思いついて、部屋にあった小さなスポイトを使って口に当ててみたら、少しだけ呑んでくれた。
私たちは心底ほっとし、汚れきった身体を丁寧に拭いて、毛布の上に横たえた。

時計を見たら、午前1時。
明日は一番で獣医さんに連れていこうと話して、毛布の隣に布団を敷いて横になったものの、二人とも目が冴えてしまい、なかなか寝つけない。
結局、子猫たちの様子を見ながらウトウトしただけで、朝を迎え、近所の獣医院に急いだ。

「発見がもう少し遅かったら、2匹ともダメだったと思いますよ」と獣医さんに言われ、生きたままゴミ袋に入れて捨てた人間を心の底から呪ったが、目の前のチビちゃんは、薬が効いたのか、おとなしく眠っている。
これが「クロ」「と「シロ」と名付けた、黒猫と白猫の兄弟がわが家の一員となった日であった。

仕事漬けで、毎日終電帰りのような私の帰宅時間が早くなったのは言うまでもない。
そして、数か月経った頃、帰宅したら、玄関で2匹が待っていたのには本当に驚いた。
私も妻も、帰宅して2匹の顔を見るのが日課となり、休日ともなると、近くの公園に連れてゆき、犬も大好きな私は、リードをつけて子犬のように散歩させ、妻の失笑を買った。
本当に幸せな毎日だった。

だが、そんな日々は長く続かなかった。
「シロ」が急死し、その最期の姿を見てしまった「クロ」は、その日からすっかり元気がなくなってしまって、見るのも辛い状態になった。
私たちは、この家にいてはクロはかわいそうだと考え、悩んだ末に、猫をたくさん飼っている友人に引き取ってもらうことに決めた。
そして、数日経った小雨が降る日曜の午後、クロは、シロと競うように付けた柱の小さな爪痕を残して、わが家を去った。

『あひる』の文中で、衰弱した「のりたま」が父親に連れられて病院に向かうシーンが私の記憶にかぶる。
きっと、私のように、この作品を読んで、遠い記憶を呼び起こされた方も多いのではないかと思う。
本当に感慨深い作品である。

玉越 直人
広島カープ
2016年11月2日
日本シリーズが終わった。
毎試合がハラハラドキドキ、波乱のドラマは、あっけない幕切れとなったが、1戦1戦、かつてないほど見ごたえのあるシリーズだったと思う。
そんなにプロ野球通とはいえない私は、今年の日本シリーズで、日本一争いよりも、野球という団体スポーツ特有の「チーム力」「リーダー力」の重要性や素晴らしさを堪能した。両軍の選手、監督たちに「ありがとう」と言いたい気持ちで一杯である。

「巨人、大鵬、卵焼き」時代の少年だった私は、熱烈な巨人ファンだった父の影響もあり、スター選手が多い、ともかく強い巨人が大好きだった。
しかし、大学あたりからは、持ち前の「アンチ」精神が花を開き、父には悪かったが、「アンチ巨人」となり、弱小「国鉄ファン」から、そのまま「ヤクルトファン」に移行した。
ヤクルトは今も好きだが、毎年8月6日前後に広島を訪れるようになってからは、広島という地に、そして「カープ」という球団に強く惹きつけられている自分がいた。

小社刊『瓦礫の果てに紅い花』(長谷川智恵子著)の主役である「ひろしま美術館」は、被爆者たちの心に希望の花を咲かせようと願いから、広島銀行の井藤勲雄頭取が創設した素晴らしい西洋美術館である。その美術館のすぐそばに建っていた「旧広島市民球場」は、打ちひしがれた市民に歓喜をという、原爆からの復興の大きな象徴であった。
そんな球場の前を通るたびに私は、「熱いもの」が胸にこみ上げてきてやまなかった。
時代もオーナーも変わっても、市民による市民のための球団、それが「カープ」なのだ。

「カープ」の「鯉」は、原爆で焼け崩れた広島城が「鯉城」とも呼ばれていたことから名づけられたそうだ。そして当初は球団旗の色「紺」だったというヘルメットの色を、75年にメジャーリーグ出身でカープの監督となった「ジョー・ルーツ氏」が「燃える闘魂」にふさわしい赤に変えたと、大の赤ヘルファンの友人から昔聞いたことがある。

その「赤ヘル」を率い、リーグ優勝を果たした緒方監督。
25年ぶりに市民たちの悲願を果たした監督の、真摯な、そして遠くを見るような視線から感じられる強い信念は、選手たちと市民たちの心を見事にひとつに繋いだといえるだろう。
日本一を逃したとはいえ、たくさんの希望と勇気をいただいた緒方監督、コーチ、広島カープの選手たち、市民のみなさまに、新米ファンながら、心から感謝の拍手を送りたい。

一方、初めての日本一を手にした日ハムの栗山監督が優勝インタビューで語った、謙虚な言葉が胸に沁みた。
「勝った実感がなくて……。野球の難しさばかりが心に残ったシーズン。私も選手たちも勉強になりました」と。
現役時代は目立つ選手ではなかった栗山監督だが、さすが知将。選手たちの力を讃えながら、あらゆる角度からきめ細かい采配を振るい、総力戦で最後の勝者となったリーダーの姿に、私たちこそ学ばせていただくことが多かった。

野球って難しくて面白い……。

玉越 直人
愛と死の輪舞(ロンド)
2016年10月6日
宝塚歌劇団を創立した異才、阪急・東宝グループ創始者、小林一三の生涯を描いた『ドリーマー 阪急・宝塚を創り、日本に夢の花を咲かせた男』(宮徹著)を企画から手がけ、また、元宝塚男役スターの真織由季氏著『勝負の日に「最高の私」になる30日間レッスン』を小社から出版していただいた身ながら、宝塚の舞台を一度も見たことがなかった私。

だが、たまたま親しい編集者Hさんが宝塚ファンだった幸運から、なかなか取れないチケットが手に入り、わが人生初の宝塚観劇が先日実現した。
演目は「エリザベート 愛と死の輪舞(ロンド)」。
ミュージカルでも有名な、自分らしく生きることを決して諦めなかった、実在の美女、オーストリア帝国皇后「エリザベート」の悲恋の物語である。
宙組男役スター、朝夏まさとが、生死をさまようエリザベートを愛してしまった黄泉の国の帝王トートを主演。エリザベート役には実咲凛音、妻を取るか母を取るかと迫られ苦しむ皇帝、フランツ・ヨーゼフ役を真風涼帆が演じた。

終演後、来場されていたHさんが声をかけてくださった。
「玉越さんが、この世界を初めてご覧になって、どう思われたか、興味津々」「途中で帰ってしまう男性もいるので……」と。
私は、眼の前で繰り広げられる、まさに華麗なる「輪舞」に魅了され、時間すら忘れていたと話すと、「そうですか。それはよかったです。宝塚は、超ファンタジーの世界なので、あまりにも現実離れした歌劇に拒否反応を示す男性もいるんです」と。

「ありえない美しさ」への憧憬こそ、私は人間の本質そのものだと思うタチなので、拒否どころか、初めての宝塚の世界にすっと入ることができ、心から感動できたのだろう。

にしても、「女性が男性を演ずるために」メイクアップした「男役」というのは、性を超越した、まさに女性が男性に求める「究極の理想像」のように思えて、身震いする。

複雑な後ろ髪を引かれる思いを抱きながら劇場を後にした、不思議な夕べだった。

玉越 直人
童話の世界
2016年9月14日
「夏休み」、この言葉は齢を重ねた今でも、心に静かな興奮を呼ぶ。
中学時代の夏休みは、悪友たちと海辺で1週間もテントを張り寝泊りしてジャレていたが、高校に入ってからは、一人旅にはまり、山に向かうことが多くなった。
なかでも「信州」という地名に惹かれ、未知なる国のように思えた私は、バイトで金ができれば、「信州」を目指して「あずさ」に飛び乗った。

大学時代、そして社会人となってからも毎年夏には必ず信州を旅していたが、さすがに社を起こしてからは、なかなか時間に余裕がなく、徐々に足が遠のいてしまった。
今では、「そば畑仲間」と、種まきと収穫の時期に2度長野県東御市を訪れるときに眺める山並みと千曲川が、「わが信州」になってしまった感がある。

だが、今年の夏は違った。
土日を使って、かつて一度だけ訪れたことのある信州の果て、新潟県境に近い野尻湖を見下ろす黒姫高原に向かった。
黒姫在住の作家、C・W・ニコル氏によって全国的にも有名になった地への30年ほどぶりの再訪だったが、旅の大きな愉しみだった「黒姫童話館」は、森と草原に囲まれた豊かな自然環境の中にあり、眺望がすばらしい童話館は、1991年オープンの信濃町立文学館である。

『モモ』や『はてしない物語』で日本中にファンが多いドイツ人作家ミヒャエル・エンデ氏の2000点超の本人寄贈作品、絵、資料などが世界で唯一常設展示されており、エンデ好きの私には、最高に贅沢な世界。エンデ氏来館時の写真や言葉に感激した。
また、松谷みよ子氏の常設展示室も、そこにいるだけで楽しくなってくる、時間を忘れる部屋だった。

そして館内には、日本の民話や長野県にまつわる昔話、世界各国の代表的な童話もたくさん展示され、家族連れの方も、それぞれが自分流に楽しめるように工夫されていて、子どもから、おじいちゃん(私のこと)まで、子どもの頃に戻ったように顔がほころんでいた。

さらに、館内のカフェ「時間どろぼう」でコーヒーを呑み、テラスから森に入ると、そこには、野尻湖畔のアトリエとして使っていたという、いわさきちひろ氏の「黒姫山荘」が移築されており、仕事部屋が当時のまま保存されている。

気がつけば私は、床に置かれたマットに寝転がり、大好きなリサやムーミンのぬいぐるみに囲まれながら、本を読んだり、「アルプスの少女」のような気分で草原を行ったり来たりしながら、半日を過ごしていた。
冬場の12月1日から翌4月4日までは冬期休館になるが、「黒姫高原」「野尻湖」方面に旅された際は、ぜひ「黒姫童話館」に寄られることをお奨めしたい。

玉越 直人
いい会社をつくろう!
2016年8月17日
いい会社をつくろう!













法政大学大学院の坂本光司先生が提唱される「人を大切にし、社会から大切にされる、いい会社になろう」運動の波は、静かに、そして確実に日本中に広がっている。
その使命感から、毎日のように、日本中の中小企業を視察・研究する旅を続けておられる坂本先生の大きな背中を見るたびに、私は思わず手を合わせたくなる。

そんな「少しでも先生のお役に立ちたい」との思いも込め、小社は、坂本先生が絶賛される「いい会社」の実像を取りあげた本を多数出版させていただいているが、社長のはしくれである私はずっと「では、どうしたら、いい会社をつくれるのか」を具体的に記した本を出版したいと考えてきた。正直に言えば、それは自分のためでもあったが……。
その願いが叶い、8月5日発売の新刊『「いい会社」のつくり方』(藤井正隆著、坂本光司監修)が誕生した。
著者、監修者は「人を大切にする経営学会」の事務局次長、会長の名チームで、「いい会社つくり」の最高の師匠である。

そんな私が、本のカバー折り返しに入れたのが「いい会社の情報は何社も読んだが、肝心の“どうつくればいいか”がわからない……。そう訴える経営者やビジネスパースンのため、理論に実践的研究を積み上げた10の具体的方法を丁寧に説明する」という一文。
さらに帯には「あなたの会社もきっと変われる」というコピーも。
鼻息が荒くて恐縮だが、お話したように、私自身も読者対象なので、ご寛容願いたい。

日本には、170万社もの会社、社長が存在するが、社歴、業種、規模、売上高などを問わず、社長が目指す理念の核となるのは、社員、その家族、仕事先、もちろんお客さま、そしてすべての方々から「あの会社はいい会社」だと言われることだろうと私は思う。

しかし、これもまた例外なく、「企業は、理念と経営の両輪のもとに立つ」ものなので、その両立、キープは、社業のいかんを問わず至難の業であろう。
もちろん私もご多聞に漏れずで、「鉄砲玉」と言われたサラリーマン編集者時代とはまるで異なる、社長ならではの試練の日々が続いている。

そんな私のような非力な社長でも、この本を読めば「自分の会社を少しでもいい会社に変えることができる」ことを念頭に置いて編集したものなので、全国津々浦々の社長さまのお役に立てることを強く念じている。

本書には、坂本光司先生と、慶應義塾大学名誉教授の嶋口充輝先生の「スペシャル対談」が収録されている。
サントリー、ライオンなど超優良企業の社外取締役を歴任する高名な企業研究の専門家である嶋口先生と、日本一の中小企業研究家である坂本先生が、対談テーマである「いい会社とは何か?」「あの会社は本当にいい会社か?」をめぐり、有名企業名も挙げながら丁々発止と談論が交わされていて、非常に面白い。
対談の場にいた私は、密かに「WAVE出版はいい会社か?」と自問していたが、「切磋琢磨すれば、きっといい会社になれる」と意識が変わるほど、多くの示唆に富んだお話だった。
世の社長さま、どうかご一読を。

玉越 直人
書店人からの手紙
2016年7月27日
先月、都内で行われた著者の宮本佳実氏と私の、書籍出版に関わる対談イベントにご参加いただいた書店員の女性Sさんから、ご丁重なお礼のお手紙をいただいた。
かわいい手書き文字で綴られたお手紙は、とても心のこもったもので、私の心に深く残った。

私は、その対談のなかでまず「1冊の本には読者の人生を変える力があるだけでなく、1冊の著作には著者の人生も変える力がある」とお話させていただいた。
いうまでもなく、どんな著名作家でも、最初は無名。処女作が生まれるまでの苦難の道は今も昔も厳しく、それを突破した後に、想像もしなかった未知なる世界が生まれる作家も多いからだ。
小社のように「新人発掘にこだわる」出版社の喜びもまさにそこにあり、この29年間、まったく無名だった方が、小社からのデビュー作でどんどん世に出ていかれる姿をたくさん拝見してきた。
対談相手の宮本氏も、まさにその一人である。

さらに「本というものは、著者の内なる言葉の集積であり、大切な人に送る手紙のようなもの」と私は喩えた。
そう、手紙は、受け取る相手の心に自分の気持ちがしっかりと伝わるように、何度も何度も書き直し、投函する。そして、その気持ちを受けとめてくれた相手からの返信が届いたときの喜びといったら……。
もちろん、そこに書かれているのは、パソコン文字ではなく、手書き文字だと思うが……。

そんな本という世界をこよなく愛する書店人のSさんは、お手紙のなかで、デジタル化が急速に進む出版業界における紙の本の重要性についてこう書かれている。
(ご本人のOKをいただき、以下引用させていただきます)。

「昔、写真が開発された時に、絵画は必要なくなると言われました。写真が開発される前の絵画は写実的なものや記録を残すため、情報を伝えるために描かれたものが多かったけれど、写真ができてからは、そういう役割は写真に移行して、現実にあるものを描くだけでなく、自分の表現方法としての絵画が確立されてきましたよね。それと同じで、情報だけならデジタルで充分。紙の本ならではの3次元にある素敵な物としての存在や、忙しくてページをめくることができない時も、その本が部屋にあるだけでうれしくなるような魅力を放つ内容をもった本というものがすごく求められる気がします」と。

また、「書店で働いていて喜びを感じること」を、「毎朝の開荷作業をしていて、箱の中から素敵な本が出てきたとき、すごく嬉しいレゼントをもらったような幸福な気持ちになります。お店の商品であって、私の持ち物ではないのはわかっているのですけれど、素敵な本との出会いが、とにかく嬉しいのです」とも。

長年「書店を開くことが夢」の私には、Sさんから「書店で働くということ」の原点を教えていただいた気がして、とても感謝している。

出版社も書店も「著者と読者の出会いを演出する黒子の仕事であり、立ち位置は違っても、志同じ仲間である」と私は常に思っている。
だからこそ、書店で働く方々と出版社は、もっともっと心をつなげていきたい。出会いの演出家同士として……。


玉越 直人
『子どもたちを戦場に送らない勇気』
2016年7月6日
『子どもたちを戦場に送らない勇気』













いよいよ、国政を左右する参議院選挙が迫ってきた。
自民党は、与党連合で、憲法改正のための議席数、3分の2獲得を目指し、舛添知事も辞任させ、必勝の選挙戦に臨んでいる。
一方「安倍政権の暴走を止める」と叫ぶ民進党、共産党など野党側の力は明らかに弱く、怖ろしいことだが、自民党の大勝となる可能性が高いといわれる。

WAVE出版は、そのきなくさい風を止める一助として、投票日に向けて、自民党憲法改正草案のワナを暴く『子どもたちを戦場に送らない勇気』を7月1日緊急出版した。
著者の武田文彦氏は、慶応大学法学部を卒業後、中央官庁への情報提供サービス会社を創立。「究極的民主主義研究所」設立後、「リンカーン・クラブ」を併設。政治学者、政界の重鎮らを招き、民主主義の研究を重ね、言論活動を続けてきた「民主主義研究家」である。

アメリカ大統領リンカーンは「人民の、人民による、人民のための政治」を理念として掲げたが、武田氏は、日本は本当に民主主義が実現しているのかという強い問題意識から、40年以上、このテーマに取り組んでこられた。
「リンカーン・クラブ」は、高校生や大学生も含む若い世代も参加し、民主主義を共に考え、実現に向ける活動をしている。

武田氏は、つい先日亡くなったベストセラー『第三の波』で高名な未来学者アルビン・トフラー氏とも対談し、「間接民主主義をミックスした半直接民主主義が必要」と説くトフラー氏に対し、究極的民主主義の構想を語っている。

トフラーは、「第一の波は農業革命、第二の波は産業革命、第三の波は脱産業社会」とし、これを掲げた1980年当事、まるで未来が見えるかのように、「情報化社会の出現と怖れ」を予言していた。驚くべき慧眼である。
WAVE出版の「WAVE」が、この我が尊敬するトフラーの著作『THE THIRD WAVE』からの命名であることはすでに書いた。
創業時、34歳の頃、私は出版で社会に波を起こそうとしていたのだった……。

話が逸れたが、武田氏は現代日本を俯瞰するとともに、歴史的に辿り、@明治維新、A敗戦、B民主主義危機の今、暴走する安倍政権から自由と平和を守るための無血革命「第3次」民主革命が求められていると説く。
そして、その切り札として、「課題別国民投票制」を実現し、本当の民主主義の国を作れば、「若者たち」に希望の未来が生まれるという(英国の「EU離脱国民投票制」も同様のものである)。

日本を、戦争ができる国、基本的人権が踏みにじられる国、言論弾圧・逮捕投獄も思いのままの国にしてはならない。
18歳、19歳の若者の投票行動に期待したい。

玉越 直人
政界の闇
2016年6月22日
政界の闇都知事職にしがみつく舛添氏に急転直下辞任を迫った政界の舞台裏は暗い。
だが、憲法改正に走る安倍政権の闇は、比べようもないほど深い。

安倍氏がこれほどまでに独裁を強めていること、その暴走を誰も阻めない背景には何があるのか。多くの国民の最大の関心事が「藪の中」のまま、参議院選挙戦が始まる。

そんななか、そのナゾ解きの核のひとつとして巷間騒がれているのが「日本会議」の存在。
安倍首相が特別顧問を務め、衆参議員約290人が所属する「日本会議」は、かつて長崎大学で全共闘に対抗する勢力のリーダーだった椛島有三氏が事務総長を務める、改憲、教育基本法改正、国旗国歌法の制定を求め、夫婦別姓、外国人参政権などには断固反対の姿勢を貫く民間保守団体である。

朝日新聞は、この6月17日から3回にわたる「日本会議研究 家族編」で、『「親学」にじむ憲法観』を特集している。
「親学」とは、「親になるための学習」のことで、その記事に登場する、日本会議の政策委員である高橋史郎明星大学特別教授は、個人の尊厳と両性の本質的平等を定めた「憲法24条」はGHQの押し付けであり、家族制度などの固定観念と偏見に基づいているとして、なんとしてでも改正すべきと公言している。基本的人権を脅かすような、その主張に、私は大きな不安を覚える。

実質的には、安倍政権の「戦争をする国にするための憲法改正」を信任するか否かの選挙ともなりうる投票日が7月10日に迫っている。
いつの日か戦場に送られるかもしれない、18歳以上の若者は、どの党に、誰に投票するのだろうか。
「今の若者たちが自身を語るときの共通点は、自分の基点は3.11にあるという言葉だ」と上野千鶴子氏はいう。
それは、私たちの基点が1945年8月の「この世の終わり」の光景にあることと相通じるものだろう。

元々、安倍首相は「改憲」ではなく「反憲」。つまり、決して過ちは繰り返さないと誓った、この日本の平和憲法を、国の憲法として認めていないのだと私は思う。鳥肌が立つ「きな臭さ」だ。
「民主主義は道具に過ぎず、それも不具合な道具である」と上野氏は語る。
自由と平和を守るために、私たちは新たな民主主義の手法を見出さねばならないのではないだろうか?
そんな思いを込めて、去年8月、国会前集会に参加しながら、安保法案阻止に向けて出版した『日本を戦争する国にしてはいけない』(小西洋之著)に続き、『子どもたちを戦場に送らない勇気』(武田文彦著)を、選挙前の7月4日に緊急出版する。
子どもたち、若者たちの明るい未来のために立ち上がる勇気が、今こそ私たちに求められている。


玉越 直人
広島と沖縄
2016年6月1日
先日、現職大統領として初めて広島を訪問したオバマ大統領の沈痛な姿を報道で見ながら、思いは複雑だった。
原爆を投下した国の大統領が被爆地を訪問する日がこんなに早く来るとは正直思っていなかったからだ。
大統領就任当時から強く広島訪問を望んでいたという、人権派弁護士だったオバマ氏だが、国内世論はもとより、日本の太平洋戦争「加害者論」を基に米中関係の強化を謀る中国政府などなど、様々な政治的配慮が高い障壁になっているのが色濃くみえていたからだ。

だが、来日したオバマ氏は、原爆資料館を見た後、原爆死没者慰霊碑に献花した後の17分間にも及ぶ演説では「たったひとつの人類の一員」として、広島、長崎を「道徳心の目覚めの始まり」と語り、「核なき世界」への勇気を示した。
私は、その言葉をその慰霊碑に彫られた「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しません」の言葉と重ねて心に刻みたい。

一方、「最悪のタイミング」と米司令官が語った「米軍属の男による女性殺害・遺体遺棄事件」が起き、全島が怒りと悲しみに包まれる沖縄。
オバマ氏は、伊勢志摩から沖縄に向けて、心からのお悔やみと深い遺憾の意を示したが、肝心の基地問題には触れなかった。
かつての琉球王国である美しい島国、沖縄の住民4人に1人が死に、その地獄を生き残った沖縄県民は、その後も不条理極まりない占領の苦しみを耐え、悲願の本土復帰をしたものの、沖縄はいまも変わらず、本土の「踏み台」である。
その沖縄の方々は、広島でのオバマ氏の姿と発言を、どんなお気持ちでご覧になられたことだろう。

沖縄を現職時に訪問した米国大統領は、占領下、1960年のアイゼンハワー氏、2000年、本土復帰後初めて、沖縄サミットのために訪沖したビル・クリントン氏の2人だけ。
クリントン氏は沖縄戦にふれ、「沖縄最大の悲劇は、住民に降りかかった」と述べているが、やはり基地問題は不問だった。
今回も、翁長沖縄県知事がオバマ氏と話す機会を政府に求めたが、あえなく却下。
現職米国大統領が沖縄を訪問、沖縄県知事と会談し、沖縄戦体験者の方と話し、「ひめゆりの塔」「摩文仁の丘」を訪れ、「戦争なき世界への決意」を示す日は、いつやってくるのだろう。

広島、長崎、そして広島。原爆、地上戦……。戦争が、多くの罪もなき人々の命を奪い、今なお悲しみと苦しみが続く街が日本には現存する。
過ちを認めること→謝ること→許すこと→二度と繰り返さないこと。
「たったひとつの人類」だから、この「→」の叡智が人類の未来を決める。
オバマ氏の広島訪問が、真に「道徳心の目覚めの始まり」になることを願う。

玉越 直人
書店再生ドラマ
2016年5月6日
4月23日に発売したばかりの小社新刊『崖っぷち社員たちの逆襲』が好評である。
著者の小島俊一氏は、愛媛県松山市に本拠を置く「明屋(はるや)書店」の社長である。
取次大手のトーハンで九州支社長を務められた後、3年前に、チェーン84店を擁する明屋書店の社長に就任。厳しい経営環境にあった同社を、短期間で見事にX字回復された辣腕経営者である。
週刊ダイヤモンドの「地方『元気』企業ランキング全国第1位」に見事輝いたのも、その功績が高く評価されたからであろう。

その小島社長に「厳しい状況に置かれている書店再生のための知識と戦略を綴っていただきたい」と熱望したのは私だが、それから約1年。超ご多忙な日々のなか、寸暇を惜しんでご執筆いただいた労作が本書である。
内容は「崖っぷちの危機状況にある地方書店で働く本を愛する6人の書店員と経営陣が、逆境に立ち向かい、見事再生を果たしたドラマ」である。
小社と小島氏が目指したのは、書籍作りの王道である「誰もが面白く読めて、タメになる本」。
だが、言うは易くで、著者には大変なご苦労をおかけしてしまったが、狙いはほぼ達成できたと自負している。
すいすい読める小説仕立てながら、読み終えたときには@書店経営に不可欠な決算書の見方、Aマーケティングの基礎知識、Bコーチング・マインド、C社会人としての教養と知識が身につくはずだ。
本書が、書店・出版業界の方に限らず、広く小売業界で働く方々のお役に立てば幸いである。

本書刊行前、厳しい環境の中で日々頑張ってくださっている書店現場の方々の心と強くつながっている小社のベテラン営業部長が、ゲラを読んで涙した気持ちは痛いほどわかる。
嬉しかったのは、発売早々、本書を読んでくださった、滋賀のがんこ堂書店の田中社長さま、名古屋の三洋堂書店の加藤社長や、各地の有名書店主の方々から、「読んでいて、涙がとまらなかった」「この本はうちの社員全員に読ませる」「今年最高の本」と賛辞が続々届いていることだ。心より御礼申し上げたい。

いまテレビで『重版出来(じゅうはんしゅったい)』という、出版業界を描いたドラマが話題を呼んでいるが、本書は、取次さん、全国各地の書店員さんからの温かいご支持を得て、発売3日後に「重版」が「出来」た。

小島氏は常々「書店こそ、イノベーションの宝庫」「やるべきことがたくさんある、この業界の未来は明るい」と熱く語ってこられた。
本書が、出版不況を吹き飛ばす「書店現場からの風」を生む契機となれば望外の喜びである。

玉越 直人
熊本大地震
2016年4月21日
この度の大地震におきまして、みなさまに心よりお見舞い申し上げます。

熊本県を中心に、頻発して起きている地震の被害を受けている被災地の映像を見ながら、阪神淡路大震災、東日本大震災後に被災地入りした日の衝撃の光景が瞼に浮かんでくる。

神戸には、地震から数日後に入ることができたが、生まれて初めて震災直後に被災地を訪問した私には、都会を襲った大地震が、都市にどんな影響を与えるのかを目の当たりにして、「東京でこんな地震が起きたら」という恐怖で言葉も出なかった。

5年前、「3.11」から2か月後にうかがった、最も被害が大きかったという岩手県陸前高田市。
まだ瓦礫の撤去も進んでおらず、さまざまな臭いが漂う中で、懸命に行方不明者を捜索している自衛隊員などの方々、一面の瓦礫の中、自宅があった場所で立ちつくしておられる被害者の方の姿を前に、私は震えが止まらなかった。

そして今年3月、復旧の進んでいる陸前高田に5度目の訪問をした。ある被災者の方が「自然は恐ろしいものだが、人間を豊かにさせてくれるものである」とおっしゃっていた。その言葉の中にある、自然と共に生きてこられた方ならではの「叡智」と「覚悟」に驚嘆して帰京した。

だが、その日から1か月後の熊本では、その自然がまた多くの人命を奪っている。
心が定まらない。

熊本の書店さんに、社の営業部員と2人でうかがった日を思い出す。
地方の商店街は寂れてしまったところも多いが、熊本市の商店街はとても元気で、老舗書店さんや、大型チェーン書店さんなども活気にあふれ、営業活動がとても楽しくなる街だった。

その大好きな街、とりわけ懇意な書店さんから、店内の本が落下し、天井・壁に傷が入り、什器が倒れ、営業再開の予定も経たないという話をうかがうと、愕然とする。
水などの生活物資はすぐにお送りしたものの、車中泊されているという書店員さん一家のお話をお聞きすると、一日も早く警戒解除が宣言されることを祈るばかりだ。

私が感じたことなのだが、過去の巨大地震災害の時と違い、「被災中の方々の姿」、つまり、いつまた次の地震が起きるかわからない恐怖と不安の中で生きる人々の、生身の嘆きを見聞きしていることだ。
人間の力ではどうしようもない自然災害の只中で、一日一日を必死で生きる方々の姿を通して、私たちは何を学び、何をなすべきか?
新たな「叡智」が求められている。

玉越 直人
働くということ
2016年4月6日
働くということ市ヶ谷、靖国通りの満開の桜を社の会議室から眺めながら、新年度を迎えた。
ここ数年、出版業界に漂う不穏な動きが増すなか、来年の今頃、出版はどうなっているのかという不安や怖れもあるが、もとより小社は「いばらの道」ばかりを歩んできた逆境に強い出版社。
「平穏は似合わない。ピンチには強いはずだ。今こそ挑戦だ!」と自分を鼓舞しながら、新年度のスタートを切った。

社員全員が集まった新年度会議では、厳しい状況のなか、前向きにがんばってくれている社員たちと、社の理念、存在意義、それを支えるい勤労精神を、改めて共有したいという思いもあり、冒頭に、リコー・三愛グループの創業者であり、私が深く敬愛する故市村清社長の言葉を伝えた。
「三愛」の理念とは「人を愛し、職務を愛し、国を愛す」であるが、その三愛精神のリコーが倒産寸前に追い込まれたときに、以下、市村氏が語ったものである。

「一人でも昔日の私のような苦しみにうめいてはならない、すべての人間が人を愛し、国を愛し、勤めを愛す気持ちで生活できなければ、この会社のどこに救いがあるというのか」

この言葉は、戦後の厳しい経済環境の中で生まれたものであるが、乾いた現代社会においても通用する、すばらしい言葉だと私は思う。
勝手ながら、小社に置き換えさせていただければ、「すべての社員が社の本を愛し、読者を愛し、勤めを愛す気持ちで生活できなければ、WAVE出版のどこに救いがあるというのか」となろう。
市村氏のいわれた「あなたの会社の存在意義とは何か」という問いに、正面から答えられる社でいたい。

つい先週行われた「日本でいちばん大切にしたい会社」授賞式で、審査員特別賞に輝いた小社刊『働く幸せ』の著者、日本理化学工業の大山泰弘会長は「人間がこの世に生まれてきて一番嬉しいことは、人に喜ばれることです」という趣旨の話をされていた。

「働く幸せを、共に汗をかき働く障がい者社員たち、健常者社員たちの姿から学んだ」とい大山会長ならではの、真摯で温かいスピーチだった。

また、小社近刊『働く女性たちへ』の文中で、著者の佐々木常夫氏は以下のように書かれている。
「ちょっとがんばることが大切なのは、役員や部長といった組織のなかでリーダー層にいる女性だけではありません。おのおのの持ち場で、自分のことだけではなく、あとに続く女性のことを考えながら、ちょっとがんばっていけば、女性が置かれている環境を少しずつ変えていくことが可能になります。そして女性が活躍する社会が、男性を含めた社会を活力あるよりよいものに変えていくのです」

艱難辛苦を乗り越え、仕事も家族も守り切った「ビジネスマンの父」といわれる佐々木氏の言葉は格別に重く響く。まさに至言である。

こうした言葉に学ばせていただきながら、私は「働くということ」についてこう考える。
たとえ、どんな仕事をしていても、どの立場にいようとも、「一生懸命働くことは、それだけで必ずどこかで社会とつながり、ほんのわずかでも何か人のためになり、その人を喜ばせる」のだと。
そして、「人は働くことで、良き人生を送れる……」とも。

市村氏の「勤めを愛す」気持ちを胸に、私も社員も、出版という仕事を愛し、全力で、著者と読者の出会いに貢献したい。

玉越 直人
悲しみの記憶
2016年3月17日
2011年3月11日、金曜日、午後2時46分。
あの東日本大震災から5年目の日の同時刻、黙とうを捧げながら、私はこの5年間を回想していた。

遠い学生時代の憧憬、「北への旅」の思い出に浮かぶ美しき海辺の町、陸前高田市。
その地を、大震災から2か月後に訪ねたとき、まるで戦場のような廃墟、瓦礫の山のなかを、まるで何かを探すように彷徨した記憶。
それから毎年の訪問を経て、去年目にしたのは、土砂搬送用の巨大ベルトコンベアが宙を覆う「復興」の町。
そして現在は、既にコンベアの姿はなく、「盛り土の台地」がそびえ立つ旧市街地。海岸には巨大な防潮堤ができ、海風を遮断している。

「台地」には、街の方々が集う商店街と隣接する住宅街が建てられるという。
復興を願う被災地の方々のために、莫大な費用と時間をかけた前代未聞の計画が実行されようとしている。
だが、知己を得た方それぞれが抱く復興への異なる想いをうかがった身には、この巨大計画の成否はまるで読めない。

そして、福島。
原発避難エリアから近い町で黙々と暮らし続ける方々。故郷を追われ、自宅を残したまま、遠く離れて暮らす方々。
果てしない放射線の恐怖と共存しなくてはならない生活者と子どもたち。
そうした方々の苦悩を無視したかのように進む「原発再稼働」。
私が再稼働のニュースを聞くたび不安になるのは、「原発はもう大丈夫では」という心理が働き、3.11は自然災害と原発事故が重なった惨事であり、同様のことがまた起こりうるのだという危機感が国民の間で薄れることだ。

東北沿岸という自然環境も厳しい地域に住む何の罪もない人々から、かけがえのないものを奪い去った歴史的悲劇。
終わりのない、悲しみの毎日を生きる大人、子どもの心。
少しでもそばにと、幾度となくお訪ねしてきたが、被災者の方々のお話をただうかがい続けるだけで、私ごときには、お返しする励ましの言葉もみつからなかった。

悲しみに同じものなどなく、比べようもないが、せめて、私のなかにもある深い喪失の記憶を大切に抱き続けることが、震災被害者の方々の永遠の悲しみの記憶につながる一本の糸のように私は思える。

玉越 直人
『老後のお金』
2016年3月1日
『老後のお金』











私事で恐縮だが、つい先日、初めて「年金」が振り込まれた。
サラリーマン時代の企業年金だが、生まれて初めてもらった、何か「不労所得」のような感じ。
働きバチの身としては何とも不思議な収入だったが、「老後」をリアルに感じた瞬間でもあった。

その10年間のサラリーマン時代、「蓄える」「備える」「貯める」が辞書になかった私は、「宵越しの金はもたない主義」といえばカッコいいが、「どんぶり(ザル?)勘定」だった。
あげく、10年勤めた会社を辞めでWAVE出版を興したときの軍資金は「退職金」のみという有様。
この辺は、『WAVE出版漂流記 青春篇』に書いたが、要は、自慢じゃないが、「貯金がまるでなかった」のである。

さすがに妻は呆れ果てていたが、時はバブル真っ盛り。
「明日は明日の金が降る」などとバカを言っていた「預金より消費」の時代だったから、そんな連中が珍しくなかった。
因果応報、私も含め、シニアになったそんな男たちは、こぞって今そのツケで苦しんでいるのだが……。

そして、バブルは去り、デフレは長期化し、「明日の金が見えない」自衛の時代となった今、「どんぶり勘定男」だった私だからこそ、自戒を込めてお奨めするのが、小社刊『老後のお金』(林總著)。
現在9万部超で好評をいただいている『正しい家計管理』の「長期プラン編」になるのだが、帯コピーの「50代では、遅すぎる」が超リアル。

そう、50代でも家計管理ができていなかった私には、もうとっくに手遅れだからこそ、30代、40代の方々に一刻も早く読んでいただきたいと思うのだ。
ゼロ金利も始まり、年金どころか、国家財政すらアブナイ、何もかも怪しくなってきた日本の暗い未来……。
我が身を顧みずの老婆心ながら、この国で生きていくためには、今すぐ、老後までの長期的家計管理を始めることを勧めたい。

この本の親切なところは、そんな私のような家計オンチの者でも、きちんとした「長期プラン」が立てられるようなアドバイスが満載で、30年分の「書き込みシート」がついているという点。

そしてさらにいいのは、巷に溢れる「ともかく節約・預金」「老後資金は投資で」という夢も希望もないような本や主張ではなく、「自分や家族にとって本当に価値のあるお金の使い方」をやさしく指南する本なので、とても前向きな気持ちになれることだ。

「15年早く、この本と出会っていたら」と思う今日この頃である。


玉越 直人
あってはならないもの
2016年2月19日
朝、新聞を開く瞬間が好きだ。
この広い世界の中で生起する森羅万象がギュギュっと詰まった紙面を見ると、その世界の片隅で自分も生きているのだという、不思議な感慨が湧くのである。
そんな私は市井の出来事がまず知りたくて、新聞はいつも社会面から読み始める。
テレビドラマ「事件記者」を夢中で見て憧れ、新聞社の社会部記者になるのが夢だった少年時代から変わらない習慣であり、これがないと一日が始まらない(休刊日は辛い)。

だが最近は、新聞を開くとき、一抹の怖れを抱くことがある。
「これだけはないだろう」と信じてきたようなことが、ごく当たり前のように起きる日本社会を目の当たりにするからだ。
たとえば、小泉政権下で運営が認可された「教育特区」で「株式会社」が運営する「ウイッツ青山学園高校」問題。
まさか、子どもの教育の世界まで、拝金主義で汚染されるとは……。

その「生徒募集システム」のカラクリはこうだ。
「就学支援金」という家庭の教育費負担を軽減するためにできた、国が授業料を支援する制度があり、年収250万〜350万程度であれば、年間23万7600円が国から支給される。
ウイッツ青山学園の授業料は、その支給額とまったく同額の23万7600円。
その金を学校側がそっくり受け取り、生徒は1円も払う必要がないというシステムだ。

だが、実際は授業料以外に「学習支援料」という名目で年間40万ほどを追加で学校に払わなければならないのだが、「奨学金は40万円以上借りられので、お釣りがきます。手続きは代行します」と、学校側は何事もないように父兄に説明するという。
また、学校は三重県伊賀市にあるが、「学生さんには年に2回の写真を撮るだけの日帰りスクーリングさえ受けてもらえば、あとの363日はご自由に」と平然と謳っている。
教育理念のカケラもない発言だが、あきれたことに、学校側は「何もしないで卒業できる」を堂々とアピールしている。

「高校中退や不登校などで高校に通えないが、高校を卒業したいと願う生徒たちの気持ちを逆手にとって、何の教育も施さず、国のカネを横取りし、卒業証書だけを発行するという、まさに子ども相手の悪徳商法」である。
ちなみに、昨年度、学校側が受け取った支援金は1億5000万円を超えるという。
真面目に生徒たちに寄り添い、教育の場を与えている既存の「通信制高校」とはまったく異なるものだ。
小泉政権が安易に、教育理念のない株式会社が虚構の学校を作れるようにしてしまった「教育特区」が生んだ悪なのだ。

さすがに、昨年暮れに特捜部の捜査が入ったというが、はたして生徒たちは救われるのか。
こうした「ありえない」現実にわれわれはどう立ち向かうべきか。
黙視はできない。

玉越 直人
子どもたちの理不尽な死
2016年2月1日
1月19日、子どものいじめ問題解決を目指す「NPO法人ジェントルハートプロジェクト」(私が創立理事を務めている)が中心となり、国会議員たちにいじめ問題へ向き合ってもらうべく、参議院議員会館内集会「学校事件事故の重大事案における初動調査と情報共有の重要性について考える勉強会」を開催した。
この「重大事案」とは、いじめ、柔道、剣道、ラグビーなどの部活動における事故、教師による指導死などによる「学校生徒、つまり、子どもの不慮の死」を指す。
多数の国会議員の方々の応援を背に、講師たちの力強い発言が続き、テレビ・新聞などのマスコミであふれた勉強会は、非常に有意義であった。

そして閉会後、その足で重大事案遺族たちと近くにある文科省に向かい、「全国柔道事故被害者の会」「指導死の会」「剣太の会」「ラクビー事故勉強会」との連名で「重大事案発生時における初動対応に関する要望書」を馳文部科学大臣に手渡した。
要望内容は以下の3つである。
@ 重大事案発生後3日以内に、関係者全員を対象にアンケートを実施すること
A その結果を当事者や保護者と共有すること
B 「事故報告書」の作成と報告を義務づけ、当事者および保護者が知る情報や意見を併記すること

要望を急いだ背景には、年々増加する「子どものいじめ自殺」に歯止めをかけるべく成立した待望の「いじめ防止対策推進法」の施行から2年4か月経つが、この間、いじめ自殺は減るどころか増加の一途を辿っていることがある。

要望内容は、同様の悲劇を防ぐために絶対必要なことだが、こんな当然のことがなされていないのが、今の学校現場であり、それどころか、悪しき「隠ぺい」が潜む。

集会では、わが子を亡くした遺族が次々と壇上に上がったが、会場内の国会議員たちに向けて、「私たちのような地獄から這い上がった人間の声を聞いてほしい」「理不尽なことで、子どもの命が奪われない社会にしてほしい」と泣きながら訴えた。

講師の精神科医、香山リカ氏は「隠ぺいに巻きこまれた子どもたちの心は深く傷つき、生涯にわたる大きなトラウマが生まれ、精神疾患を引き起こす」ことを強調された。

続いて演壇に立った法政大学教授の尾木直樹氏は、軽井沢バス事故で「教え子」のゼミ生を4人亡くしたばかりで憔悴し切った表情を浮かべながら、「テレビの生放送はすべてキャンセルして、この大事なシンポに来ました。無垢の子どもや、未来ある学生たちが命を落とすような、この社会は狂っている」と涙ながらに語り、「みなさんのように理不尽なことで命を奪われた遺族の方々のためにさらに全力を尽くしたい」と心を込めて誓われた。

いじめ自殺遺族であるNPO理事の小森美登里氏は「天国のあの子たちが、もう一度この社会で生きてみようと思うまで、がんばります」と語り、会場中の涙を誘った。

人間社会にはさまざまな事件が渦巻いているが、「まさか、そんなことが起こるはずはない」と私が信じてきたようなことが現実に起こる昨今の日本社会に、私は強い恐怖と怒りを覚える。

理不尽な死は、死別者の心に永遠に残る傷を残す。
人間の心を取り戻せる日本社会再生のために尽力したい。

玉越 直人
新年あけましておめでとうございます。
2016年1月6日
新年あけましておめでとうございます。
旧年中は本当にありがとうございました。
改めてみなさまに深く御礼申しあげます。

さて、株の暴落に合わせたように、世の中が一斉に動き出しましたが、みなさまはどんな年末年始をお過ごしだったでしょうか?
私は、溜まっていた仕事を片付けながら、「ちょっと休憩!」と自分で言っては、本を読み、音楽を聴き、映画を観、散歩し、夕方になると銭湯に行き、夜は遅くまでウイスキーをちびりちびりやりながらまた本を読み、また仕事をするという、とめどない年末年始を過ごした。
そしてその間、まったくテレビを観なかった。いや、違った。「紅白」だけは観た。
最近の売れっ子若手ミュージシャンをあまりに知らな過ぎることを反省して、毎年この番組だけは観るように心がけているのだ。

そんななか、自分に課したノルマが、『WAVE出版漂流記 中年篇』の執筆だった。
3年半前の創業25周年の記念に、『WAVE出版漂流記 青春篇』という、創業から15年目くらいまでのドタバタ劇をまとめた冊子を作製し、お世話になった方々に差し上げたのだが、その続編。
「青春時代で止まってもいいのでは」と思いながら、先送りしていたのだが、冊子を読んでくださった方から「漂流記、面白かったですね。続編楽しみにしてますよ」「そろそろですか、中年篇!」などと言われることが最近増えてきて、ついに尻に火がついてきてしまったのだ。
ここは覚悟と、「社の記録を残すのは、創業社長の責務だ」「まとまった時間は正月休みしかない」などと自分に言い聞かせ、暮れに書き出した。

では、さぞかし筆が進んだかといえば、いやはやお恥ずかしい。
日頃は「鬼の編集者」で、著者の方々に原稿締切のアラームを強く鳴らす立場だが、いざ自分となると、なかなか。
「休憩!」が多過ぎて、目標の3分の1ほどで三が日が終わってしまった。
「著者失格」である。
締切を厳守してくれた著者のみなさんから、叱られる(笑)。

しかし、言い訳めくが、「中年篇」は、「青春篇」に比し、自分で書いていても跳躍感が少なく、筆が進みにくい。
所詮「青春」には勝てないのだ。
もちろん、記憶が乏しい、というか、薄いせいもある。
だが、最近のわがモノ忘れ振りをみても、私もいつなんどき「すべてを忘れる瞬間」が来るやもしれず、安穏としてもいられない。
今年春までには脱稿したいが、どうなることやら・・・。

まあ、そんな内輪の話は別として、今年も本欄の拙文にお付き合いいただける、優しいみなさまにとって、今年が最良の1年となりますよう、心からお祈り申しあげます。
本年も小社をどうぞよろしくお願い申しあげます

玉越 直人
本とウイスキー
2015年12月25日
年の瀬になると思い出すのが、今は亡き親友K氏と、仕事納めの日に盃を交わしながら語り合った本とウイスキーの話。
なにか高尚な話かと期待されては困るのだが、要するに「休日の夕暮れどき、ひとり本を読みながら呑む酒は何が一番ふさわしいか?」。
トイレが近くなるから、ビールは困りものだし、日本酒は、互いにぬる燗好きなので面倒だ。それに、焼酎には悪いが、なにかしっくりこない。
となると「ワインか、ウイスキー」だが、こうなると、「ウイスキーをストレートでチビリチビリ」に軍配があがる。
というか、最初から結論は出ているようなものなのだが、こんな、たわいのない話ができるK氏との時間が何より愉しかった。

そんなK氏が急逝した翌年、2013年5月に開いたのが「BAR WAVE」。
店内に小さな書棚を設け、私や友人の好みの本を並べ「BOOK BAR」を気取った。
内心、K氏のような本好き、ウイスキー好きの客が集まる店を目指して、行きつけの古いBARを火曜と木曜だけお借りする形で始めたのだが、そもそもこの店に連れてきてくれたのもK氏だった。

今でも、誰も客がいない静かな晩など、本を片手に満面の笑顔のK氏がドアを開けて入ってくる姿を夢想してしまう。
K氏ならカウンターに立つ私にこう言うだろう。
「最近、なんか面白い本読んだ?」と・・・・・・。
K氏に答えるなら、慌ただしい師走の合間に読んだ本『亡き王女のためのパヴァーヌ』(パク・ミンギュ著、吉原育子訳、クオン刊。徹底した弱者の目線から愛と人生を綴る韓国の新文学)と、『世界の果ての子どもたち』(中脇初枝著、講談社刊。戦時下、家族と共に満州に渡り、出会った出自の違う3人の少女が辿る悲惨な運命と再会の物語)と答えるだろう。

振り返れば、『世界の果ての子どもたち』を生んだ悲惨な戦争が終わって70年目の今年は、安保法制、原発再稼働、老々介護死、子どもの貧困、いじめ自殺の増加、辺野古基地問題など、心痛むニュースばかり。
出版業界内でも、取次会社の経営破綻、雑誌の実売急減、アマゾン問題、消費税の軽減税率適用問題、再版見直し論議など、次々と課題を突きつけられた1年だった。

だが、そんな厳しい日々の中で心を支えてくれたのは、やはり素晴らしい本との出会いだった。
今年の年末は、ウイスキーグラスを片手に、新たな本との出会いを楽しませていただくことにする。

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今年も、私の拙文「社長夜話」に辛抱強くお付き合いいただき、心より感謝いたします。
みなさま、よいお年を。
来年は、「BAR WAVE」にもぜひ。
酒神に手を合わせながら、お待ちしております。

玉越直人
八王子いちょう祭り
2015年11月30日
八王子いちょう祭り










絶好の秋晴れの下、第36回となる「八王子いちょう祭り」が11月21日(土)、22日(日)の2日間にわたり開催された。50万人もの方々が来場されるという、民間主催イベントとしては国内最大級の祭りである。

私は去年の夏までこの祭りのことを知らなかったが、縁あって今年は出展社としてメイン会場にブースをお借りし、「いちょう祭り」デビューを飾った。
その縁とは、小社刊『それでも人生にYESを』著者の富樫康明氏がこの祭りの専務理事(実行委員長)の大役を務めていることから生まれたとものである。

今年の祭りのメインテーマは「おもいやりの心 おもてなしの心 やさしい心」、合言葉は「Say YES Start together! YESをはじめよう!」である。
テーマを考えたのは富樫氏。ずばり「YES」とは、富樫氏の著書のテーマである「いのちを支え合う心」のことである。

会場である東京都の郊外、自然に恵まれた八王子市には、市内追分交差点から高尾駅前までの甲州街道約4キロにわたり770本もの見事ないちょう並木が続くが、毎年11月下旬には、この街道はいちょうの葉で黄金色に染まり、それはそれは美しい。

昭和53年、いちょう祭りの創始者である「追分郵便局長」の大野聖二氏と20代の若者だった富樫さんたち地元の有志は、このいちょう並木をシンボルとした、市民の手による、市民のための、市民の祭典を開催することを決め、翌54年、第1回いちょう祭りが開催された。
「企画はキミたち若者の自由な発想で構わない。必要であれば助力する。もしもの時は、私がすべての責任をとるから」という大野氏の声に、無名だが才気ある若者たちは励まされ、「失敗を恐れず、のびのびと活動に専念できた」と富樫氏は回想する。
いちょうの樹の母と、その子である実たちの旅立ちを描く、宮沢賢治の『いちょうの実』という童話が思い出される、愛情あふれるエピソードだ。
「人間を愛する、自然を愛する、地域と文化を愛する」を旨とする思想家でもある大野氏は、「未来を担う若者たちを育てたい」という願いを胸に、まさに「YES」を実践したのだった。

その若者たちもいまや60代になった36回目の祭りに、WAVE出版は会場内のブースで本の展示販売・お遊びコーナーを設け、ユニークな製本キット「くるみ」を販売する東京美術紙工協業組合さんの協力を得た「本作り体験コーナー」も通して、来場者の方々と親しく触れ合うことができた。

また、八王子中央図書館地下展示室をお借りして、読み聞かせのベテランである間嶋真理子さんによる「社の絵本の読み聞かせ」と、人気ユニット「たゆたう」さんによる「おはなし音楽会」を催し、親子連れのみなさんに楽しんでいただいた。
子どもは本当に素直である。会が終わっても、子どもたちはなかなか帰らない。「さっきの本、見せて!」と言って、本を開き、見入っている。
『ながぐつボッチャーン』(軽部武宏著・小社刊)に見入っている男の子の足元を見たら、なんと「長ぐつ」。お母さんが照れくさそうに「この子は長ぐつが大好きで、こんないいお天気でも・・・」と。

祭りは過去最高の人出を記録し、閉幕したが、私はつくづく八王子市民が羨ましくなった。
いますごい人気の高尾山の紅葉と同時期に開かれる「いちょう祭り」、早くも来年が楽しみである。

玉越 直人
初孫誕生!
2015年11月6日
私の話ではない。
秋に入り、親しい友人からの「初孫誕生」の報が続いた。
つい先日も、ごく親しい某出版社の社長との会食当日に「初孫くん」が生まれ、会はたちまち初孫誕生祝い会と化した。
日頃、家族の話などあまりしないシャイな御仁が、自分で撮った「孫の写真」をスマホで見せながら「かわいい〜」を連発する姿がとても新鮮で微笑ましかった。

以前、わが子の世話には到底熱心とは言えなかった悪友が、目尻を下げっぱなしで孫育てに精を出す姿を目の当たりにしたことがある。
未経験の私はただただ苦笑するしかなかったが、「目に入れても痛くない」という比喩の見事さに、改めて気づかされた日だった。

「かわいい〜」の余韻冷めやらぬ数日後には、初孫のお嬢ちゃんが生まれ、「ついに私もおばあちゃんになりました」というメールが女の知人から届いた。
お祝いに伺ったが、幾晩も病室でひとり娘に付き添っていたそうで、「自分のお産のときよりも、よく頑張ったと思うわ」と、不思議な自信に満ちた笑顔で語る姿がとても眩しかった。

聞けば、団塊の世代あたりから「孫育て」はかなり進化しているようで、最近は「じいじ」「ばあば」の孫相手の絵本読み聞かせもちょっとしたブームらしい。
となると、孫に読み聞かせしたい絵本選びが・・・。
ひょっとすると、児童書の世界にもシニア旋風が吹くのではないだろうか。

ところで、くだんの初孫社長が「かわいい〜」の合間に薦めてくれた『わるじい秘剣帖』(風野真知雄著・双葉文庫)を早速買って読んだが、これがとても面白かった。
主人公は隠居したばかりの凄腕の武士、桃太郎。
その無骨な剣豪が、不肖の息子が芸者とのあいだに生まれたもうひとりの孫の桃子と偶然出会い、孫かわいさのあまり、いつも桃子を背負いながら、怪事件を見事に解決していくという、とても痛快な時代小説だ。
ちなみに、桃太郎も、初孫の顔を見ては「かわいい〜」を連発する。
孫のかわいさには、江戸も平成も、武士も社長もないのだ。
風野氏の「わるじい」と「美人芸者」「孫」が織りなす物語。シリーズ続編が楽しみである。

*「わるじい」の「わる」の意味は、どうぞ本を読んでのお楽しみに。

玉越 直人
金のりんご賞
2015年10月22日
国際的に有名な絵本原画の国際コンクール「ブラチスラバ世界絵本原画ビエンナーレ(BIB)」の「金のりんご賞」を、小社刊の絵本『オレときいろ』著者のミロコマチコさんが受賞された。
受賞の報をフィンランド滞在中に受けたという著者の祝賀会が先日都内であり、お祝いにかけつけた多くの方々とともに、喜びを分かち合った。
ミロコさんは受賞の喜びを「きいろが金色になりました」と、書名にかけて語られていて、出版元としては最高に嬉しい晩だった。

BIBは1967年に設立され、以降スロバキアで隔年に開催される、子どもの本の原画分野では最も歴史が古く、権威があるとされており、今年は25回目、50周年の大きな節目にあたる。
1か国から15名の作家しかノミネートできない狭き門で、今年は50か国以上が参加して、なんと10次審査までいったという栄誉ある受賞は、「快挙」の一言に尽きる。

ミロコさんは、2012年のデビュー作『おおかみがとぶ』(イーストプレス)で2013年「日本絵本賞大賞」、『ぼくのふとんはうみでできている』(あかね書房)で「小学館児童出版文化賞」、『てつぞうはね』(ブロンズ新社)で「講談社出版文化絵本賞」と3作連続受賞された、今最も注目される若手絵本作家である。
この大賞受賞をきっかけに、海外から注目を集め、世界中の子どもたちに「ミロコ・ワールド」が届くことを願ってやまない。

受賞作の『オレときいろ』は、自由自在の筆致でパワーにあふれた猫ときいろの絵が、本からはみ出してしまいそうなエネルギーに満ちた快作である。

ある日、目の前に現れた「きいろ」を夢中で追いかけ回るオレ(猫)が、命というものの豊かさに出会うまでの幻想的な世界を描いた本作には、説明的な文章はほとんどなく、「だっ だっ だっ ざっ ざっ ざっ」「ぐわあ わお わお わおー」のような擬音語が縦横無尽に躍り、大人も子どもも自然に心が弾んでくる。

ミロコさんは、受賞作の帯に「なにもかも きいろに まみれて おどりながら 描いたよ」「いきものは まぶしくて わたしにとって きいろだった」と綴られている。
この光輝く作品は、あふれんばかりの夢と希望に満ちていると私は思う。

玉越 直人
不屈魂
2015年10月8日
先週、急逝された、小社刊『負けてたまるか』著者、松本崇・長崎県大村市市長のご葬儀に参列させていただいた。
東京を発つときは快晴だった空が、長崎空港に降り立ち、大村市内の葬儀会場に入る頃には雨に変わった。まさに「涙雨」。
敬虔なクリスチャンである松本市長とのお別れは、讃美歌の斉唱で静かに始まった。

松本崇氏は、市長在職中に無実の罪で逮捕され、220日間勾留。その後、奥様の自殺、次男の急死、そして足の筋肉が弱る難病のために車椅子生活に。
「あの頃は廃人のようだった」と本書に綴った松本市長だが、絶望の淵から不屈魂で復活当選、市長に返り咲き、通算6期務められるなか、慢性的な財政赤字を一気に黒字化しまた、「日本一住みたくなる街」を作り、人口増を果たした長崎県内でも有名な「奇跡の市長」である。
亡くなる寸前まで「こんなことをしたい」「あそこが足りない」と市政への夢を語っておられたという。

葬儀場から空港に向かったタクシーの運転手さんが「われわれ市民みんなが愛した市長が突然いなくなり、われわれはこれから一体どうしたらいいのでしょう」と途方に暮れておられた。
出版社社長と著者という関係を超え、松本氏を実の父のように敬愛し、心の支えとしてきた私も呆然とするばかりで、まさに同じ心境である。
「不屈魂で、正義の人。常に自分のことよりも他人のことを考える優しい人」。これが市民の松本市長評だと弔辞でうかがった。
どこぞの首相に、この市民たちの声を聞かせてやりたい。

帰路の機内、式辞のなかで牧師さんとご長男が語った言葉を思い出した。
若い牧師さんは「市長は、どんな多忙なときでも、毎週日曜の礼拝を欠かさず、帰るときは、礼拝者の一人一人に『お元気ですか、また来週お目にかかりましょう』と声をかけていらっしゃいました。市長は、不幸なときも幸せなときも、いつも生きていることを喜んでおられたのだと思います」と語っていた。
式の最後に、喪主の奥さまの代わりに挨拶に立たれたご長男は「父は死の前夜、私の手を強く握り、かすれた声で『負けてたまるか』と語った」と涙声で話されていた。

玉越 直人
国会が死んだ日
2015年9月25日
国会が死んだ日










安全保障関連法案が参議院特別委員会で採決された晩、私は国会議事堂前で「安保法案反対集会」の渦の中にいた。
主催者があちこちに設置した街頭スピーカーからは、国会内の与野党の攻防の様子が刻々と報じられ、「9条を壊すな」「戦争法案絶対廃案」などのシュプレヒコールと、自民党の横暴と圧政を非難する演説の声は、夜が更けるにつれて高まった。

60年安保では死傷者が出た場所、国会前は、警察車両が盾となり道路を封鎖し、警官が連なりロープで溢れる人々を抑え込み、緊張感が増していたが、誰ひとりその秩序を乱す人はなく、徹底した非暴力の姿勢と非戦の決意から生まれた一体感に、私は傘もささず、ぬれねずみになりながらも、心は熱かった。

翌未明の同委員会で、目をそむけたくなるような見苦しい強行採決がなされ、19日未明にはついに参議院本会議で可決・成立した安保法案。
憲法学者でなくともわかる明白な違憲法制であり、「敗戦後70年、平和を守ってきた日本を、戦争する国に変えた」、戦後最大の過ちだと私は怒っている。

その前々日、17日の朝日新聞「天声人語」に、小社刊『日本を戦争する国にしてはいけない』著者の小西洋之参議院議員が同書の中で力説した「安保法案、違憲の証拠」が取り上げられていた。

小西氏は「国会質疑のなかで、様々な論証をもとに解釈改憲の根拠のデタラメさを安倍首相他の閣僚にぶつけてきたが、とぼけて自説を繰り返すばかりで、誰もまともに答弁しない」と嘆く。
もはや国会質疑が成り立っていないと言うのだ。

東京オリンピック決定前、福島第一原発「汚染水漏れ」の事実を隠ぺいし、「アンダーコントロール」などと言い換えたりする安倍首相の欺瞞の姿は見慣れてしまったものの、「安保法案」に関する国会質疑を見ていると、「この国の主権者は国民ではなく、安倍政権か」「民主主義は破壊された」「国会は死んだ」と、正直悲観的な気分にもなる。

だが、決してここであきらめるわけにはいかない。
「違憲の根拠はこれだ」「こんな違憲の法律により、一人でも戦死者を出してはならない」と口をそろえて言い続けることが、この暴挙にブレーキをかけ、民主主義を取り戻す道だと確信している。

そしてさらに、来年は選挙もあるし、訴訟という手もある。私たちの手で、国会を再生させ、日本を恒久平和の国にすることはきっとできる。希望はあるのだ。

玉越直人
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