WAVE出版 広告ギャラリー書店様へ会社概要玉越直人の社長夜話サイトマップ
詳細検索
石井ゆかりの12星座シリーズ
インバスケット思考
新刊案内
近刊案内
女性エッセイ
美容の本
暮らしの本
趣味・実用
ビジネス
社会・ノンフィクション
こころの読みもの
外国文学
教育・受験
芸術・サブカルチャー
英和和英専門用語辞典
65万頭の犬猫の命を救うシリーズ
リンク集
バーゲンブック.jp
石井ゆかりの星座のことば
twitter始めました
facebookはこちら
玉越直人の社長夜話
『アーティスト』と『テルマエ・ロマエ』と『音符と昆布』
2012年5月8日
3本の映画を連休中に観た。

まず『アーティスト』
長女が珍しく観たい映画があるというので、一緒に劇場に出掛けた。
作品賞はじめアカデミー賞を総なめにした話題の映画なので解説は不要だと思う。
サイレント映画の売れっ子男優の命をも救う忠犬アギーと、無名のエキストラから彼に才能を見い出され、一気にトーキーの人気女優となった若い女性の演技がとても愛らしい。
だが何より、彼が愛犬と「会話」し、彼に向かって生き生きと話す彼女の姿を、目を細めて見つめ温かに微笑むシーンは感動の涙なしでは見られなかった。
無声映画だからこそ、言葉ではなく表情で「愛する」とはこういうことなのだと教えてくれる。
「映画好き」「犬好き」の私を、もう限界までメロメロにしてくれた大傑作。
涙もろい私に「お父さん、また泣いてたね」と娘が言ったが、私の方も娘が同じシーンで泣いていたのを知っている。娘の心にも少しだけ近づけた貴重な時間だった。

そして『テルマエ・ロマエ』。
これは本当に文句なしに楽しかった。
原作者の発想の斬新さ、奇抜さに、映画化など不可能と思える原作マンガの世界を忠実に再現した監督のチャレンジ精神。ただただ驚嘆するしかなかった。
外国人を日本人が演じるという前代未聞の役を演じる阿部寛が本物の古代ローマ人に見えてきて、現代を生きる上戸彩との恋が、国や時空を超えるものに感じられるのだから、この映画はすご過ぎる!

最後に『音符と昆布』。
母親がいない、臭覚がない、という負い目にもめげず、頑張って生きている「料理家」の妹役、市川由衣のもとに突然やってきて住みついた池脇千鶴演じる姉は自閉症、アスペルガー。
「一人っ子のはずだった私に、こんな火星人のような姉がいたなんて」と呆れ苛っていた妹だが、姉との不思議な交流の中で、この世のすべてのものを受け入れようと自然体で変わっていく。
この二人の女性を淡々と描く井上春生監督の佳作は、映像と音楽とで、私という「寝た子を激しく揺り起こしてくれた。

大学卒業時に、出版にいくか、映画にいくか真剣に迷い、今も映画監督に羨望をもつ私は、「死ぬまでにしたい10のこと」の断トツに「自主製作映画を作ること」と太字で上書きしたアブナイ映画週間であった。
青森の成田本店社長ご来社
2012年4月24日
創業当時の昔話で恐縮だが、無知な私は、出版社というものを立ち上げたらまず、全国の主要書店さんに開業の挨拶にうかがうのが筋だと勝手に信じ込んでいて、まだ本も近刊チラシさえないうちに、つまりカラ手で東京を発ってしまった。
目指したのは青森。
実はこれには訳がある。小学校のとき、私にできた最初の親友、工藤くんが青森からの転校生だったからだ。
真正津軽弁(現地の方は津軽「語」というらしい)がまったくわからず、最初は参ったが、あっという間に惹きつけられ、いつも何でも一緒に遊ぶ仲になった。
内向的で「箱入」。テレビドラマ「7人の家族」のような平穏な家庭で育った私とはまったく違う、いわくありげな母子家庭。「故郷を捨ててきた」と大人のような厳しい表情で話す工藤くん。まるで映画「スタンドバイミー」の中の親友同士、弱虫主人公とケンカがめっぽう強い不良少年のよう。この弱虫少年は後に作家になるストーリーだが、私は、社会の深層を見る眼を教えてくれた工藤くんとの出会いのおかげで活字の世界に入ることができたと思っている。成人した後、一緒に「ねぶた祭り」で跳ねた日が懐かしい。
そんな工藤くんの生地、青森にまず行かなければ、WAVE出版の旅は始まらないというおセンチな気持ちだった。

そんな思いを秘めながら、訪問した青森。目指したのは有名老舗書店「成田本店」さん。
どこの馬の骨ともしれぬ、怪しい私を相手に、地元の名士でもある社長さんは、1時間ほどのアポ時間が過ぎても、「本とは何か」「書店とは何か」「出版社とは何か」、そもそも「地域と文化とは何か」と話を続けてくれた。まるで先生と生徒。結局、2時間半、みっちり授業をしていただいた。
「夕食をご馳走するから」という言葉が泣きそうになるほど嬉しかったが、さすがにぐっとこらえ、外に出たら、もう日が傾いていた。列車の疲れがどっと出て、駅前の食堂で定食を腹に入れ、格安の「駅前旅館」ですぐに寝た。
これが記念すべき地方書店訪問第1号。
今も各地の書店さん回りが大好きなのは、こんなありがたい初体験のせいかもしれない。
金欠で本が出せない切なさを、書店営業でなだめていた時期でもあったのだが・・・。

それから幾星霜、なんと、その成田本店の3代目社長、成田耕造氏が先日来社されたのだった。ご来京のお忙しい日程のなかで、わざわざ小社に立ち寄っていただき、本当に感動した。
「新風会」の幹事を務められている成田社長は、書店業界の現状と未来を話され、前述の私の昔話も真摯に聞いてくださった。

久々に今年の夏は「ねぶた」で跳ねてみようかと思った一日だった。


玉越直人
応援道
2012年3月29日
「スポーツをなさっているんですか」とよく言われるが、実は私は子ども時代から球技くらいしか興味がなかった。苗字のせいで悪ガキに「玉ころがし」なんて言われていたせいかもしれない。

それがなんと、高校時代には何と「男子10キロマラソン」という、バンカラというか、野蛮な「慣わし」があり、女子の手前、必死で完走はしたものの、これで私は「一生もののランニング嫌い」になった。
いやいや「人はなぜ苦しい思いをしても走らなければならないのか」「歩いても必ず辿りつけるのに・・」などと不埒なことを考えながら走っていたのだから、当然の報いだったのだろう。

そんな私のヒミツをよそに、最近急にマラソンマン(ウーマン)が増殖、東京マラソンを完走したと眼を輝かせて語る知人たちが出現し始めた。
「最初は500メートルも走れなかったのに・・」とすごく嬉しそうで、私はそういう顔をみるとノセてしまうクセがあり「えーっ、それはすごい。タイムは?」と聞けば、「5時間少し。タイムアウトでお迎えバスに乗せられないギリギリ・・」とまた笑顔がこぼれる。

調子に乗って「東京マラソンの裏話を聞かせてよ」と言うと、「トイレ」話が出た。確かにテレビでは映らないシーン。
そもそもスタート前の長い長い待ち時間、ぎゅうぎゅう詰めのため、ランニングして身体を温めるスペースもなく、身体が冷え切ってしまう。そしてやっと走り出してからのトイレがまた大渋滞。男性でも20分くらい待たされるというのだ。
頻尿気味の私など、5時間のタイムのうちトイレ・タイムだけでゆうに1時間は使ってしまいそうで怖ろしい。

「でも、沿道の応援が本当に嬉しいんだ」という言葉を聴いて少しホッとした。
純心無垢な応援にあうと本当に感激するのだと。
確かに、社会人になると、心から応援させることなんてなかなかない。
また、去年は抽選にはずれて応援組だったという彼に言わせれば、応援は実にストレス発散になり、非常に快感なのだと。
そうか、応援されることもないが、見ず知らずの他人を本気で応援するなんて機会も滅多にないからな。
「走るのは絶対ご免こうむりたい」私でも、「応援」ならできる。
マラソンブームにあやかって「応援組」デビューしてスカッと爽快な気分になるのもいいかも。

伝統的な「応援団」というものが存在する日本、それならいっそ「応援道」を究めてみようかなどと、あまり純真とはいえない興味をもち始めた「玉ころがし」であった。

玉越直人
懐かしきテレビドラマ
2012年3月26日
私はほとんどテレビ自体を見なくなって久しいが、大昔、多感だった高校時代は相当なテレビドラマ好きで、毎週欠かさず見ていたクチ。本当は受験勉強で忙しかったはずなのだが・・。
そして、恥ずかしながら、純愛モノ、中でも「木下恵介アワー」が好きだった。

竹脇無我と栗原小巻が主演のドラマ、「三人家族」とか「二人の世界」が特に心に残る。弟役で両作に出演している元「ジャニーズ」の、あおい輝彦(「水戸黄門」の助さん役の方が知られているかも)の主題歌は、今でもソラで歌える。

誠実で、子どもっぽいところもある2枚目と、清純だが、自分の意見と感性をもつ現代的な美人が出逢い・・・という設定。
うまくいくようでなかなか成就しない二人の恋路にハラハラしながら見ていた、わが青春時代。

木下恵介監督は、「本当の人間を描く」と、硬派社会モノから、抒情的作品、コメディ、革新映像まで幅広く撮る巨匠。ほぼ同時期の黒沢昭監督に男性ファンが多いのに比し、繊細な女性ファンの心をとらえて離さなかったという。

最近、その木下監督のレトロな名作に、木村拓哉と香取慎吾がデジタル合成で入り込むビール会社のCMが始まったが、件の「二人の世界」も登場している。

その栗原小巻さんとは、先日とあるパーティの席でお話させていただく幸運を得たが、「木下恵介アワー」の2作品が大好きだったとお話すると、「コマキスト」がしびれた、あのかわいい笑顔で「懐かしいわ・・」と。

今年は木下監督の生誕100年に当たる。
数々の名映画、名テレビドラマを今一度全篇見直したいと燃えている私である。

玉越直人
泣き虫先生と泣き虫社長
2012年2月24日
「一隅を照らす」を信条に創業した私の最大の糧は「出会い」。
その新たな出会いから、『強く生きたいと願う君へ』という本がこの度生まれた。
著者は法政大学大学院教授の坂本光司先生。
60万部を超える大ヒットとなっている好著『日本でいちばん大切にしたい会社』シリーズ(あさ出版刊)の著者として有名であり、私は同書を初版で買い求め、通勤電車内で読んで落涙してしまった、感動的な書である。

念願かなって、坂本先生と初めてお目にかかった日のことを私は忘れない。
初対面なのに、あっという間に意気投合し、お話をうかがううちに、私は目頭が熱くなっていたが、ふと気づけば、坂本先生も遠くを見るような表情で赤い眼をしていた。
その日から1年近くが経ち、本書を上梓できたのは格別の喜びである。

「本当に強い人は何があっても他者を責めません。そして例外なく、どんなときでも弱者に優しい。そうでない者は、たとえ一時「勝者」であっても、必ず滅びるのです」(本書より)

正しい人間がもつ真の力は、他人を打ち負かす力ではなく、世のため人のために役立つ力である。「利他の心」と「自律心」をもって、何があっても真っ直ぐに生きようと語りかける坂本先生の言葉は限りなく強く、温かい。

私は、この本のゲラを読んで涙がとまらなかった。
最初は、本書に登場する真摯に生きようとする方々の言葉と姿に、次には、その方々と共に語り、共に悩み、共に涙する先生の姿が眼に浮かんだからだ。

そんな私の周りには、「泣き虫」が多い。

玉越直人
情熱、執念、使命感
2012年2月9日
台北国際ブックフェアに初めてうかがった。
海外でのブックフェアには、20代後半の呑気なサラリーマン編集者時代、取材の帰途、フランクフルト・ブックフェアに立ち寄ったが、その壮大な文化イベントに圧倒されるばかりで、恥ずかしながら中身の記憶が乏しい。

つまり実質、東京国際ブックフェアしか知らない私には、台北での本の祭典は圧巻だった。
会場に入ってしばらくはガイド資料も見ないであちこちさまよったが、そのブースの華やぎ、溢れる人々のパワフルな会話にめまいのする思いだった。

自社ブ−スでは、気を取り直して、地元出版社や版権エージェンシーの方々とのプレゼンの場に同席したが、ここでは1冊の本をめぐる日台出版社間の応報が私を驚かせた。
遠慮なく、妥協なく、この本はどんなユニークさをもつのか? 誰がこの本の読者なのか?この著者はいかなる個性をもつのか? 日本での読者の反応は?
データよりも、むしろ出版人としての「自社書籍認識」を問われ、緊張と刺激が高まった。

台湾の出版社は、この日本の出版社が発行している本が自国の人々が求めるものなのかどうかを、懸命に模索する。
まさにプロ意識の固まり。
この本を翻訳出版することで、読者にいかに貢献できるのか、真摯に向き合う出版人の姿に感動した。
たった一人の著者と、たった一人の読者。
その海を越えた出会いのために心血を注ぐ人がいる。
そこにあるのは「情熱」と「執念」、そして「使命感」だ。

台湾と日本の長く厳しい歴史を振り返りながらも、この国の出版人との交流が生む、未来への手ごたえを全身で感じて帰国した。

「今度はぜひ東京のブックフェア会場で、WAVE出版のブースに立ち寄ってくださいね」と言ってお別れしてきたが、全力で彼らに恥じないブースに磨き上げ、お待ちしたいと思う。

玉越直人
1970年代
2012年1月23日

成人の日、早朝から始まった次女の着付け・成人式の送り迎えを終え、99%振袖姿、ダークスーツ姿の無個性な式場をバックミラーで見ながら、私は自分の成人式の日を思い出した。
黒のとっくりセ−ター、ブラック・ジーンズ、黒いシャケットという黒ずくめのいでたちで一応式場にまで行ってみたものの、式典に出る気にもならず、一人出口付近で所在なくタバコばかり吹かしていた、ハタチの日の記憶。
1973年1月15日のことだ。

その73年は、田中角栄首相が「日本列島改造論」をぶちあげて公共事業を急増させたエポックな年。やがて第4次中東戦争が勃発、第1次オイルショックにみまわれ、トイレットペーパー買いだめを経て、翌74年には戦後初のマイナス成長。
おかげさまで私が大学を卒業するときは、ひどい就職難だった。

現在日本は、借金漬け、貧富・世代間格差、社会保障などなど、あらゆる分野で深刻な危機を迎えているが、そもそも、そのルーツともいえるのが、この70年代。
少子高齢化も同年代半ばから始まったし、公共事業バブルの建設国債発行だけでも危険だったのに、赤字国債という、イケない麻薬の発行もこの頃から。電力需要バブルに応えた形で次々と原発による発電が始まったのも70年代なのだ。

今さらだが、あの頃、もう少し日本の将来起こりうる危機を真剣に見据えた施策をとっていたら、この国は違った未来を生み出すことができたのではないかと悔やまれる。

そんな中起きた大震災・津波に、原発問題・・。
さすがにもう70年代の失敗を繰り返したくない。
それなのに、政府も官僚も学者も幼稚で無責任な言動ばかり。そして最後の頼みの綱、マスコミも、いつの間にか草食系に・・。

今年成人した若者たちに、2012年が「日本の終わりの始まり」の年だったなどと言われないよう、自分個人でできる情報発信と活動を、3月11日をひとつのヤマにして推し進めたい。

週末の雪混じりの寒風の中、「反原発デモ・署名活動」が都内あちこちであったが、果たして、この窮地に間に合うのだろうか?  私は深刻に焦っている。

玉越 直人
『新年に想う』
2012年1月5日
寒空の下、年越しされた大震災被災者の方々の年末年始のご心情を考えると、胸が痛むが、平穏に正月を迎えられた幸運に深く感謝し、傷ついた方々を想いながら、仕事に生活に全力を尽くしたい。

さて私の年末年始は「家族漬け」だった。
特に大晦日は、初めて「紅白」を最初から最後まで、家族と一緒に見た。
全般的には「自粛モ−ド」だったが、終盤、「時代」「愛 燦燦」「津軽海峡」・・と、私が普段カラオケで歌う曲が目白押しで、家人から笑われた。
私でも歌詞カードなしで絶唱できるくらいなので、「国民的歌謡曲」の代表なのだろう。
特に、中島みゆきの「時代」は、勝手ながら、創立以来のわが「社歌」である。

そして、そのカラフルなお祭りの紅白が終わり、一転、時間が止まったような「静謐なモノトーンの世界」に一瞬で切り換えるNHKに誘導されるように、除夜の鐘をつきに近所の寺に行った。
境内には人があふれていたが、独りぼっちは珍しく、黙って行列の終わりに並んだが、いつの間にか、自分の世界に浸っていた。

天災、人災、不況、不条理・・、悲しみが耐えない今、自分は何をなすべきなのか。
今年5月12日、社は創立25周年を迎え、12月には私も60歳。信じられない気分だが、残り時間が少なくなってきたのは事実。

そんな気分で迎えた元旦の朝、届いた年賀状をめくれば、「定年」「退職」という文字が踊る公務員派、「給料半分になるけど、定年延長で働くぞ」の民間サラリーマン派。
そう、辰年、年男の今年は、学生時代の仲間たちが一斉に定年を迎えるのだ。
どちらがいいのかは個人次第だが、そのどちらにも属さない私は・・・。

今年も私の彷徨の「夜話」にお付き合いいただければ幸いです。
末筆ながら、みなさま、素晴らしい一年になりますよう、お祈りします。

玉越直人
眼鏡のある暮し
2011年12月27日
眼鏡のある暮し恥ずかしながら、前々回の本欄「めがねを買いに」の最後にお約束した、私の「人生初眼鏡写真」を掲載させていただく。

誕生日直前、まるでバースデー・プレゼントのようにドイツから待望の眼鏡が届いた日のことを私は一生忘れないと思う。
あの昼下がり、青山のお店にうかがい、最後の微調整をしていただいたが、嬉しくて、そのまま眼鏡をかけて地下鉄に乗って社に戻り、夕方までずっと社員に見せびらかして悦に入っていたのだった。
日頃、辛口の女性陣が、「若返った」「自然でよく似合う」「オシャレ」ととても褒めてくれたのも、子どもみたいだが、素直に嬉しかった。
でも、この写真、みなさまの目にはどう映るのだろうか???

まあ、人さまの評価は別にして、それからの毎日はことのほか楽しい。
朝、起きると枕元に眼鏡がある。顔を洗うとき、風呂に入るとき、眼鏡をはずす。出かけるときのテェックは、財布、時計、携帯、そして・・眼鏡。
こんなささいなことがまことに新鮮なのである。
この感覚、初めてタバコを吸ったときに近いのかな・・。

ずっと眼鏡は大人っぽいものと思い込んできたが、意外に子どもっぽい愉しみの小道具なのかもしれないと思う。
まあ、来年還暦を迎えるオジサンのささやかなお遊びなので、関係者のみなさま、しばらくの間は笑ってお引き立てのほどを。

さてみなさま、今年最後の「社長夜話」にお付き合いいただき、ありがとうございます。
どうぞお元気で楽しい年末年始をお過ごしください。
また来年!

玉越直人
『普天間かおりさん』
2011年12月20日
年の瀬、不思議なご縁を感じる、素晴らしい出会いがあった。

私は大震災以降、公私共に東北地方に幾度もうかがい、多くの方々とお会いする機会を得たが、夏以降はとりわけ、放射能禍の危険が消えない福島で知己を得ることが多かった。
郡山市の児童詩誌『青い窓』の編集長さん、地元の書店員さん、福島市の学校教師の方々、平和運動家のみなさん、福島の未来に心を痛め日々尽力されている裏磐梯のペンションオーナーの木村さん・・・。

実はその木村さんにご紹介され、裏磐梯観光大使も務められる、沖縄出身のシンガーソンライター、普天間かおりさんのライブに初めてうかがうご縁を得たのだ。

東京文化会館のステージバックには、巨大な垂れ幕に毛筆で「SMILE AGAIN」のタイトル。
3.11の地震を、毎週金曜レギュラーを務めるラジオ福島のスタジオで迎えたという普天間さんは、それ以来、被災地復興のために、ライブはもとより、子どもたちへの本の寄贈、読み聞かせなどの活動を精力的に行なっておられる。
そんな普天間さんの、温かく、そして強いメッセージに満ちたライブは本当に感動的だった。

クリスマスも近いことから、演奏の合間に、サンタクロースにまつわる絵本の朗読やお話をされたが、いつも笑いものにされているトナカイが、「暗い夜道では、その鼻がみんなの役に立つんだよ」というサンタさんの言葉に「今宵こそはと」喜ぶ、あの有名な「赤鼻のトナカイ」には、普天間さんの弱者への優しいお気持ちが溢れていて、目頭が熱くなってしまった。

そして、ヒット曲「守りたいもの」や「必要なんだよ」を聴き、完全に涙腺決壊状態になり、慌てて周囲を見渡したが、みな眼が同じ。
そのとき会場にいた私たちは、まさに心がひとつになっていたのだと思う。

普天間さんの明るく元気な姿をみて、今なお屋外で遊ぶこともままならない福島の子どもたちが安心して地に立ち、「青い空」を見上げられる日が来るまで、本当に微力だが、全力を尽くしたいと痛切に感じた一夜だった。

普天間かおりofficial web site
http://www.futenma.net/

玉越直人
『美しいものを売るために大切なこと』
2011年12月1日
この世には、男にはわかりにくい世界というものがある。
それは女性が求める「美」の世界である。

その一例が、百貨店などに入ると必ず1階にある美容コーナー。名だたる化粧品ブランドが軒を並べ、美を求める女性と、それを受けとめ導く美容部員。

もとより私のようなおじさんがうろつく場所ではないので、急ぎ足に通り過ぎるのだが、その場で交わされるであろう女性同士の対話には興味が湧く。
勝手な想像ながら、一番難しそうな仕事・・。

そんな美を売る職業人の日常と苦労、厳しさと喜びを描き、先輩から後輩へ秘伝とエールを贈る近刊『美しいものを売るために大切なこと』は、美容部員の領域にとどまらない、接客業全般につながる深い職業意識とノウハウを授けてくれて、門外漢の私にも面白くてタメになる。

著者の野毛まゆり氏は老舗旅館に生まれ、美とホスピタリティの奥義を祖母、母から授かりながら成長されたという。
そして有名外資系化粧品の販売部員、教育トレーナー、広報を経て独立。まさに美しいものを売るプロ中のプロである。
本書は、そんな著者の「販売」に対する真摯な姿勢と作法が美しく綴られている。

私は、この本を読んで「美しいもの」を「本」に置き換えてみると、私たち出版人が学ぶべきことも多々あると気づいた。
書店員さんだけが販売員なのではなく、私たちも販売員なのだと・・。

野毛氏は「今日はどんなにつらくとも、明日も笑顔で売り場に立たなければならないのが販売員」と語る。
日夜がんばる販売員の方々に本書をお届けしたい。

玉越直人
『めがねを買いに』
2011年11月21日
めがねを買いに

近刊の、とてもユニークな本『めがねを買いに』の著者、藤裕美さまにエスコートしていただき、めがねを買いに、表参道ヒルズにある眼鏡店「リュネット・ジュラ」にうかがった。

実は、私は生まれてこのかた、めがねというものに縁のない人生を送ってきた。編集者適性は「目が強い」くらいしかないと思っている人間である。

そんな私なのだが、この本はなぜか企画段階から、とても気になっていて、できあがった時にはいち早く手にしたのだが、読んでいる途中から無性に眼鏡が欲しくなり、担当編集者経由で「藤さんにめがねを選んでいただけないか」と、子どもみたいなわがままを言い、実現した昼下がりだった。

眼鏡店自体初デビューで緊張気味の私を気遣って、優しくサポートしてくれる藤さん。難しい話抜きで、鏡の前でお薦めのめがねを次々とかけていると、気持ちが落ち着いてきた。
それどころか、小一時間ほどいて店を出る頃には、鏡に映るめがねをかけていない自分の顔が、間抜け面に見えたのには驚いた。

結局、少しだけ迷ったものの、ほとんど一目ぼれのものに決めたが、藤さんのアドバイスで、製作者の職人さんに微妙にアレンジしていただくことになった。
なんと。マイめがねは「世界に一つだけのめがね」になるのだ。

それも普通アレンジには2カ月ほどかかるところを、藤さんが職人さんに直談判してくださり、約1カ月後のマイバースデーにドイツから届くことに。

なんという役得、なんというラッキー。
今から至福の1カ月になりそう。

えっ、ところで、どんなめがねにしたのかって?
内緒内緒。届き次第、本欄にて写真入りにて登場しますので、お楽しみに!

玉越直人
『青い窓』
2011年11月2日
朝日新聞「天声人語」で幾度も賞賛された『青い窓』は、福島県郡山市で隔月に刊行されている、子どもたちの詩を掲載した「児童詩誌」である。
昭和33年に「薄皮饅頭」で有名な同市の老舗和菓子店「柏屋」さんが創刊され、昭和から平成の今に続くばかりか、全国各地にエリア版『青い窓』が広がっている。
その瑞々しい詩に惹かれた私は、先日柏屋本店ビル内にある編集室をお訪ねした。
創刊以来の主宰者で編集人をつとめられた佐藤浩氏は盲目の詩人。編集室の壁に掲げられた「読めば詩、聴けば言葉」という文字が心に響く。
3年前の佐藤氏の死後、編集人を引き継がれた現編集人の橋本陽子さんにお許しを得て、ここに、過去の『青い窓』に掲載された詩の中から2編を引用させていただくことにする。


  コスモス                小学三年 溝井 サキ
三年生のとき
とうちゃんがへいたいになった
さけのまね とうちゃんが
さけのんで
どなるように あいさつした
コスモスはわらった
となりの ミエ子あねが
きれいな 花よめさまになって
わげから でていくとき
だまって ないた
コスモスはわらった
だから
コスモスは 大きらい

  こたつ
                    小学五年  佐藤 悦子(昭和37年)
あたたかいこたつ。
家のかぞくは五人。
「五角のこたつなら
いいなあ」
と、おねぇさん。
一番あとからはいる
かあちゃんは
私と同じ所。
私はやっぱり
四角でもいい。

私とほぼ同年の方の詩だが、あの頃の子どもたちの純真無垢な心が発する温かい言葉の数々。
私たちもみな昔は子どもだったのに、なんと遠くに来てしまったのだろう・・。
次号の『青い窓』を心待ちにしている自分がいる。

玉越直人
鳥の「たまちゃん」
2011年10月12日
私、玉越は、子ども時代からずっと「たまちゃん」と呼ばれ、いまも同じ。当然のように兄も姉も同じく「たまちゃん」なのだが、わが二人の娘たちは、どうもそう呼ばれていないらしい。ニックネームというのは、この歳になると少し気恥ずかしい反面、いざ呼ばれると結構嬉しいものでもある。

さて、「鳥のたまちゃん」だが、小社近刊『鳥のきもち』のカバーを飾る可愛いオカメインコの名前である。サブタイトルに「鳥と本音で通じ合える本」とあるように、「私」という鳥が主役で、飼い主さんに向けて本音を語るユニークな構成・内容だ。「人間たまちゃん」には、すごく親しみが湧く写真だ。

ここで話が飛ぶが、かつてWAVE出版は、年間65万頭もの「殺処分される犬猫を救うシリーズ」を刊行した。創業にあたってこれだけはと胸に秘めていた「動物の殺処分問題」に踏み込んだ、思い切った企画だった。
そして、渡辺眞子さんという、この問題に深く心を痛めてきた愛犬家の方と出会い、取材・執筆をお願いして生まれたシリーズ第一弾の『捨て犬を救う街』は大きな話題を呼び、マスコミにも注目され、いまでは犬猫の殺処分数は年間30万頭を切った模様だ。

私も小さい頃、渡辺さんと変わらぬワンコ大好き少年で、学校帰りの公園で野良犬を拾ってきては家人にみつかり、「ちゃんと一人で世話できるようになってから」と言われ、泣く泣く元の場所に戻しにいかされていた。
だが、それでも懲りずに夜になると公園にこっそりエサを持っていく私。みかねた祖母が「一緒に世話しよう」と飼ってくれた雌犬が「ルル」。風邪クスリみたいな名前だったが、すっかり家族の一員になり、ルルが死んだときには、ショックで祖母は3日間寝込んだ。

遠回りになったが、そんな犬大好きの私が想いを込めて編集した『捨て犬を救う街』を読んで感銘を受けてくださった方の一人。それが、この『鳥のきもち』の著者、松本壯志さんだった。「自著は、あの本を出版されたWAVE出版から出したい」とご丁寧な連絡をいただいたのだ。

これだけでも望外に嬉しいのに、さらなるニュースが待っていた。編集を担当した社員のひとり、鳥好きの手島が子ども時代に通ったことのある店が、なんと松本さんの経営するSHOPだったことが判明したのだ。何たる奇遇。
「犬と猫と鳥と人間」がひとつにつながった瞬間だった。

「出版社の財産は目録にある」というが、これに人の縁が結びついたミラクルに、私の心は翼が生えたように舞い上がっている。

玉越直人
子どものいじめは「犯罪」か
2011年9月30日
またまた「いじめを苦にした女子中学生の自殺」が起きた。
例年、新学期が始まる春と夏休み明けの秋に自殺者が増える。「学校に通える」という、本来子どもたちに等しく付与された、楽しいはずの世界が、悲惨な事件を生む残酷な舞台となっているのだ。心が凍りそうになる。

いじめ自殺遺族の方と始めたNPO法人「ジェントルハート・プロジェクト」が間もなく10年を迎えるが、悔しいことにその間、自殺は減るどころか、陰湿ないじめを苦に自らの命を絶つ子どもは増え続けている。

「何とかしたい」「何とかしなくてはならない」
NPO理事たちともがき苦しみながら、全国での講演活動、政府・国会議員・文科省への働きかけ、書籍の刊行、メディア登場など、一年中手を変え品を変えて活動しているが、「結果」が出せない。

そんな焦りの気持ちの中、新たな自殺報道を目の当たりにすると、正直、守ってきた思考が揺らぐときがある。
その「信念」とは、いじめをしている子も、その理由を突き詰めれば、この社会の歪みが生んだ、いわば「被害者」であり、「加害者」として責めることでは、なんの根本的な問題解決にはならない。いじめを生む背景を放置する、この日本社会の大人にこそ等しく罪と責任がある。だから、追い詰められた子どもたちの心に寄り添うことから始めよう。学校にはその情報を隠蔽することなく開示して欲しい、ということだ。

「ぼくがいじめたときは、いつも自分がつらいときでした」
これは、いじめをしている、ある少年の心の叫び。
実際、長く活動をしてくると、いじめをしている子の心がどんなに苦しく、やり切れない気持ちで一杯なのか、ひしひしと伝わってくることがある。
人を傷つけるために生まれてきた子など一人もいないのだから。

だが、だが・・。

大人社会では、言葉だけの「いやがらせ」でも「ハラスメント」として罰せられる。
子どものいじめだけが社会的に制裁されないという考えにムリはないのか?
いかなる理由があろうとも、自分の言動によって起きた「死」に対し、自らが責任をとらなくていいのか?
少年法云々の刑罰議論の前に、子どもたちに「あなたのいじめが、罪もない同級生を死に追いやることがある、それはやはり、あなたが一生十字架を背負う犯罪行為なのだ」と強く警告すべきではないか?

「いじめた子どもの人権保護」とい名の下、わが子が自殺に至った経緯・事実情報を封印され、自らを攻め、悲嘆にくれる遺族は、「なぜ、私の子は死に至ったのか」という、ただ一点の情報公開を求め、仕方なく望まない裁判を行い、結果、司法の壁に阻まれ、新たな絶望に至る。

長引くいじめ自殺裁判を傍聴していると、法廷に立つ、かつて集団でいじめをした子たちが成人、母になり、裁判所の廊下でわが子を抱きあやす姿を垣間見ることもある。

「人間の尊厳」「加害者の更正」「命の重さ」・・・。
とてもとても難しい問題で、正直、私にはどう考え、行動すべきか、自信がなくなっていく。

今回はとても長くなり、失礼しました。

玉越直人
『石井ゆかりの12星座シリーズ』が100万部に!
2011年9月16日
昨年3月に「牡羊座」「牡牛座」「双子座」、6月に「蟹座」「獅子座」「乙女座」、9月に「天秤座」「蠍座」「射手座」「山羊座」「水瓶座「魚座」の6点を出し、シリーズ全12巻がそろってから間もなく1年が経過するが、ついにこの9月12日、累計100万部を超えた。
100万部は小社創業24年間で初めての歓喜の経験。

そもそも、こんな大型シリーズ自体が初めてのことであり、社員みな、やることなすこと初体験。
正直、不安の連続だったが、ともかく社員全員が外部の方の力もお借りして、乗り切った。
今さらながら、現場の書店員さんに愛され、「読む占い本」として読者の方々の支持を得ることができたのだと思うと、感無量である。

そして言うまでもなく、こうして社員一丸となって踏ん張れた元気の素は、著者の石井ゆかりさんにある。
初めて原稿を読んだとき「これは文学だ!」と感じたことを私はよく話すが、読者をこの日常の喧騒から解き放ってくれる本なのだ。
このシリーズを生んだ源泉である、同氏著の『12星座』は、私の密かな愛読書なのだが、深夜、ウイスキー片手に読むと最高。

私事で恐縮だが、長女から、就活仲間たち8人のうち2人がたまたまこの本を持っていて、親しい友人にプレゼントしていると、ランチのときに話題になったそうで、「就活でメチャへこんだとき、この本を読むと、なんか救われる」とも聞いたと。
恥ずかしがり屋の長女は相当困った上でやっと「その星座の本、私の父が勤める出版社で出しているんだ」と小さな声で言ったそうで、このエピソードもまた、今になると改めて感慨深い。

1年で100万部、の「意味」を深く深く受けとめ、2年目に向け新たなスタートを切る緊張感に浸りながら、まだ暑い秋を迎えた。

玉越直人
『神秘の夜の旅』
2011年9月6日
独自の出版理念で注目を集めるトランスビューの新刊書名である。

49歳で逝った詩人であり、思想家、批評家である越智保夫の没後遺稿集『好色と花』(筑摩書房)は、エロスを論じて遠藤周作、島尾敏雄などの賞賛を得たが、本書は、その越智の精神と思想の旅を辿った好著である。

著者の若松英輔氏は、『井筒俊彦 叡智の哲学』(慶應大学出版会)で注目を集める批評家。
本書で若松氏は、小林秀雄、井筒俊彦、チェーホフ、マウセル、須賀敦子の思想世界に敷衍することで、越智の人生を支えた魂の深淵を描き出して見事だ。

書名に強く惹かれるが、「他者」〜「隣人」〜「民衆」と、神秘なる真実の世界をみつめ続けた越智の旅には「夜」がある。その「夜」とは、日常と感じる「昼」の奥にある、もうひとつの世界であると若松氏は「あとがき」でいう。

「夜は読書のためにある」と平気で夜更かししていた頃を思い出しながら、天井の明かりをおとし、小さなスタンドの下で本書と共に旅をした。
これからの秋の夜長、TVを消し、パソコンをOFFにして、巡りあった本と共にさらなる神秘の旅をしたい。

本書刊行記念の著者講演会が9月8、13、23、28日と都内の書店で行われる。これも今から楽しみである。

http://www.transview.co.jp/books/9784901510998/top.htm
『福島の星とホタル』
2011年8月3日
先週末、長女と二人で福島県の猪苗代湖近く、裏磐梯のペンションに「星見」に出かけてきた。
幸運にも、昼間は雨曇におおわれていた空が夜に入って開け、信じられないような星空が登場。星座大好きの娘は歓喜したが、おまけにホタルの乱舞も見ることができ、私も子どもの頃に戻ったような感慨に浸った。
ペンションのご主人がガイド役で、星座はもちろん、道すがらの草花や虫のことを丁寧に説明してくださり、昔の林間学校を思い出した。

一例をあげれば、「ホタルはなんのために光を放ちながら飛ぶのか?」
飛んでいるのは雄のホタルだけで、お相手の雌を探し、無事受け入れてもらうために必死で光を放つのだそうだ。それも超腹ペコ状態とのこと。また、ホタルは一夫一婦制で、一度交尾が終われば、雌は草の中に隠れ、ひたすら出産を待つという。なんと清らかな一生なのだろう。

そんな話を、一歩先もまったく見えない漆黒の夜道で聞きながら、満天の星を眺められた最高の夜だった。

ただ、そんな素敵な宿は、夏休みに入った土曜日なのに、宿泊客は我々二人だけの貸切状態。ご主人は「福島県、というだけで遠慮されてしまう。お客さまは去年の夏の9割減」と。福島原発から100キロ以上も離れた平和で安全で風光明媚な地域を襲った「風評被害」。
道ですれ違う車すら少ない中、満員の大型バスがやけに目立ったが、聞けば、乗客は、太平洋岸沿いや原発危険エリアの町からきた子どもたちと保護者。猪苗代湖などでの「湖水浴」「湖水釣」や、大型スパでの水遊びが目的。

こうした一部「特需」はあるものの、福島県産野菜は地元の方すら敬遠気味という。福島に起きている現実を直に見て、私と娘は考え込んでしまった。
依然として消えない原発不安を考えると、簡単に「福島へ行こう!」とはいえないが、せめて先の短いわれわれオジサンだけでも福島に行こう、と仲間にメールしてしまった。

本当に裏磐梯の夜空は心が洗われる美しさだから・・。

玉越直人
『インバスケット思考』
2011年7月21日
小社近刊『究極の判断力を身につけるインバスケット思考』についてふれたい。

「インバスケット」は1950年代に米空軍が開発したというトレーニングツール。限られた時間内に多くの課題を一気に片づけるシュミレーション・ビジネスゲームであり、自分が架空の職業に就いた状況下でリアルな案件に立ち向かう。
この非常に面白くて実戦的なゲームに注目した日本の一流企業が続々、社員教育や管理職昇格試験などに活用し始めている。
ちなみにインバスケットとは「未処理箱」のことである。

早くからこれに着目、研究・開発を進め、普及のために日本中を飛び回る第一人者の著者による、一般向け読み物としては日本初の書である。
本書では、いきなり洋菓子店の店長に任命された若い女性「青山みあ」が、60分に20案件を処理しなければならはないはめになり、悪戦苦闘しながら案件をやっつけ成長していくストーリー仕立てをとった。

私の机上にある「未処理箱」には常に未処理案件が飛び込むので、立場上、まず私が本書でしっかり勉強しなくてはならないのだが、個人的にも、このゲームの手法にとても興味がある。特に私が未知未経験な様々な業種に生起する案件処理に立ち向かうのは、仕事を離れ、面白い。
ゆえに私は、昇格とか、教育とかとは別に、「脳に汗かく頭の体操」としても、このインバスケットは広く楽しめるものではないかと思う。

著者の鳥原隆志氏は、入念な職場取材を経てストーリーと問題を作成するという。
いつか、出版社を舞台にしたインバスケットの問題をお願いしたいと心密かに願っているが、「できなかったら、どうしよう」という不安もある(笑)。

ともかく、人生の「インバスケット状態」から早く脱出し、「未処理箱」を常にカラッポにして日々平和に暮らしたいものである。

玉越直人
『24年前の会議机』
2011年7月5日
6月27日(月)より新オフィスにて仕事を始めた。
7年間いたオフィスは、社員も増え、手狭になったため、徒歩30秒のビルに引越を決めたのが2月。
本当は4月下旬には引っ越しの予定だったが、3.11の大地震からしばらくは、私自身が移転プロジェクトに集中できず、計画が遅れた。

だが結果、社の業務部の女性メンバーたちの踏ん張りで、とてもおシャレで快適なオフィスになった。
創業、オフィス移転は、最初の4畳半から数えて実に6回目。24年間ずっと市ヶ谷である。
7年前にはとてもだだっ広く感じたオフィスだが、今では自分の体の一部のように隅々まで血が通っていて、「いとおしい」。
そんな思いで社内をうろうろしていたら、片隅の段ボール箱の置き台になっている古いテーブルとイスに眼がいった。

創業時に事務所にあった他の什器は、私が家で使っていたのを持ち込んだ本棚と机とイスだけ。新品はこの会議テーブルセットだけだった。
24年間の蹉跌を表するように細かい傷はたくさんあるものの、タフな作りは頑丈でまだまだ使える状態だ。
このテーブルで一体何人の方と出会い、語り合い、呑み、議論し、何冊の本の企画が生まれ、旅立っただろう。
そんなセンチメンンタルな想いも含め、7年間の戦場だったオフィスと社員たちを写真に収め、その後社員たちとオフィスとの別れの酒を飲んだ。

ビルオーナーであり、大変な読書家である藤山さん一家には本当に小社を応援していただいた。藤山さん、本当に温かくて快適なオフィスでした。心からお礼申し上げます。ありがとうございました。
新たな場所でまた新たな闘いに挑みます。
さよなら、藤山ビル!


玉越直人
『逆境を生き抜く力』
2011年6月17日
編集者のタマゴたちが会社研修授業のため来社した。
茨城県の中学生、13歳の男子4名、女子3名だ。
みんな本が大好きで、「将来の夢は出版社の編集者になること」だそうだ。頼もしい未来の編集者たちに出会えた、とても気持ちのいい日だった。

私は今度7月8日のブックフェアで講演をさせていただく光栄を得て、「出版とは、編集とは」について改めて考えている。
「1冊の本には人生を変える力がある」
この思いが今の私と、WAVE出版を作ってくれたのだが、創業以来24年間の航海は厳しく、ブログ「WAVE出版漂流記」に記している通り、逆境の連続だった。
ブックフェアでは、そんな自身の体験をもとに、「小さな出版社に何ができるのか」を受講者の方々と共に考える場所にしたいと考えている。

そんな中に嬉しい出来事が・・。
沖縄・興南高校野球部監督、我喜屋優氏の新刊『逆境を生き抜く力』の出版記念会で、「沖縄の熱い風」を満身に受けることができたのだ。
「高校生を野球人としてではなく、人間として立派に育てる」のが私の仕事と明言し、朝起きてから就寝までの、とても細かいルールと指導が見事だ。
その根底には「細かいことをやれなくて、大きなことをやれるはずがない」という理念がある。
その試練を乗り越えた高校生が、昨年驚異の甲子園春夏連覇を果たし、監督が取材に対し語るつもりだったという、「この優勝は沖縄県民のものです」という名言を堂々と語ったのだ。


校長でもある、この我喜屋監督の本は、野球の本としてではなく、「人材育成のバイブル」として広く経営者、ビジネスマン、親たちに読まれている。
本当に光栄なことである。

玉越直人
私たちの過ち
2011年5月18日
大震災で市民2万3000人のうち、1300人以上が死亡、いまだ行方不明者が多数残る被災地、岩手県陸前高田市に週末うかがった。
知己を得た方のご縁で、避難所にはすでに支援物資はお送りしていたが、いてもたってもいられず、身体が北に向かった。

大切な人も家も失った被災者、不眠不休の市役所職員、ボランティア、様々な方々にお話をうかがった後、高台から被災地区の全貌を見た。テレビで見ていたし、覚悟はできたいたつもりだったが、私はダメだった。完全に打ちのめされた。

学生時代に訪れた、あの美しく穏やかな街がすべて消えている・・
被爆直後の広島市内の写真を思い出した。どこが道路かもわからない、ただただ「瓦礫」の海。

あまりに悲しくて涙すら出ない。
これは一体なんなのか・・

被災から2ヶ月が経った今、水道こそ復旧していないものの、自衛隊の力で物資を望めば翌日には避難所に届くという。
だが、私の目には、この街は再生できるのか、これからこそ本当の苦難なのではないかと思えてならなかった。

「私たちも大変だが、10日に1回しか風呂にも入れず、コッペパンで懸命に働く自衛隊員を一日も早く家に帰してやりたい」という東北人らしい気遣い。
「援助は涙が出るほど嬉しい。でも、やがて私たちは避難所を離れる。その日から、依存ではなく、自立しなくては・・」という悲痛な覚悟も聞いた。

だが、そうした声をうかがえばうかがうほど、私は強く自問せざるをえなくなった。
3.11前、自分は一体何を考え生きていたのだろうかと。

我欲、慢心、傲慢、無責任、無関心・・・
この悲惨は、私たちが危険で厳しい状況の中で黙々と生きている人々のことを忘れてしまっていた、つまり「私たちの過ち」が生んだものではないか。
危険な原発のことすら、大震災前は私たちの頭にはまるでなかった。

今さら取り返しがつかないという忸怩たる思いもある。だが、2度とこの過ちを繰り返してはならない。
「今この社会を変えなくて、どうする」と心に誓いながら、私は帰京した。
被災地を遠く離れた私たちが今試されているのだ。

玉越直人
東北へ行こう
2011年5月11日
連休はカレンダー通りに勤務、休日も遠出することなく、書棚の古い本や懐かしい映画、音楽たちと「心の旅」をしていた気がする。
社の本だが、『瓦礫の果てに紅い花』(長谷川智恵子著)も再読した。原爆で一瞬にして街が消えた広島に、文化の花を咲かせようと、世界の名画を集め「ひろしま美術館」を創った孤高の銀行員の物語である。

そして吉田拓郎を聞いていたら、学生時代、行くあてもない寝袋貧乏旅行の途上、車窓から見えた「花火」にひかれ降り立った岩手・一関の夜景が蘇った。
市内を流れる川の土手で大の字に寝転がって見た贅沢な時間。宴の後の星たちも降ってくるように美しかった。

翌日は大船渡線で気仙沼に向かったが、当時の私の旅はともかく「北」を目指す鉄路だった。

今、この美しい地を大災害が襲い、復興対策が急務だが、私が望むのは「被災地をユートピアに」だ。
そう、「雨ニモマケズ」の宮沢賢治が、いわゆる「農村文化協同体」建設をもってユートピア創りに挑んだのが東北の地、岩手である。

この「理想社会」については改めて私見を述べたいが、先日、被災地の方との会話の中で「複雑な気持ちだが、ともかく、東京の方にはこの惨状を見にきてほしいと思う」と。

あまりの腐臭とヘドロの煤煙、そして何より精神的ショックでボランティア後体調を崩す方もいるという一方、ヤジ馬も散見されるという。
だが、被災地に立って、「これから自分がなすべきこと」を自問すべきだと私は思う。

今年は私の「北への旅」再出発の年となる。

玉越直人
『利他のすすめ』
2011年4月27日
小社の最新刊のタイトルである。
50万部突破の大ベストセラー『日本で一番大切にしたい会社』(坂本光司著・あさ出版)のトップで紹介された日本理化学工業の会長である大山泰弘氏にご執筆いただいた。

大山氏は自らのチョーク工場で懸命に働く知的障害者の少女たちから、
「利他のこころで生きれば必ず幸せになる」ということを学んだという。
そして、彼らから学んだ18の知恵を綴ったのが本書であり、私は原稿を読んだときに涙が止まらなかった。

「利他」とは、そもそも仏教の言葉だが、「利己的」ではなく、他者の役に立つことをする生き方のことである。

哲学者の内山節氏は雑誌「毎日フォ−ラム」4月号の中で「利他はもう若者の流行語になっている」と指摘されている。

大震災を経て、私たちはみな、「これから自分たちはどう生きていくべきか」を自問し始めている。
これから「復興」「日本再生」に立ち向かうとき、「利他のこころをもって生き抜く」姿勢が必要なのではないかと私は思う。

『働く君に贈る25の言葉』著者の佐々木常夫氏からは「苦しい時代にこそ、心に刻みたい一冊」と推薦のメッセージが届いた。

今、私たちにできること・・・そのヒントとなる一書である。


玉越直人
共に生きていくということ
2011年4月19日
3.11から1ヶ月が過ぎた。
私は出版社団体の対策会議メンバーとして被災書店さんの復興支援、被災者の方々への本の寄贈、そして経済的ダメージを避けられない業界内社への義援金創出などに取り組んでいるが、前途は非常に険しい。
それは何より被災状況の把握が難しく、先が読めない点にある。

そんな日々の中で、個人的には、私が若者ならば、被災地入りしてヘドロの撤去に従事したいが、足手まといなことはわかっている。

そこで今ロートルにできることは、被災者の方々の心の痛みに少しでも寄り添うこと。
悲しいことに、メディアもテレビも我々も、時間の経過と共に、この悲惨の記憶は薄らいでいく。
あの9.11ですら、友人のニューヨーカーは言っていた。
「人は忘れるものだ」と。

その一方、被災者の方々は、震災直後のショック状態からは少しずつ立ち直るだろうが、逆にその過程で自らが失ったかけがえのないものの大きさに打ちのめされ、底知れぬ苦悩の日が始まる。
だからむしろ、その時こそ、私たちの本当の出番ではないだろうかと思う。

「決して、ひとりぼっちにはしません」
これが今一番、生き延びた被災地の方々にお贈りしたい言葉である。

玉越直人
WAVE出版にできること
2011年4月1日
3.11から3週間が経ち、余震の不安はやや遠ざかった感があるが、原発の恐怖はむしろ高まっているのではないだろうか。

この不気味で不安定な状態が長期化する中で、日本全体が沈没する危険があり、思い切った対策が急務だが、日本再生への道のりは非常に険しい。

原発問題が解消できれば、必ず復興は進み、被災地に希望の灯がともると固く信じているが、その一方で確実にパラダイムシフトが起こり、大きく日本が変わるだろうと思う。
ただ、その変化は、経済成長の名の下に、イケイケの時代がずっと続いてきた中で失った本当の豊かさを取り戻すものであって欲しい。

本の世界も過剰生産・過剰配本・大量返品が日々当然のように行われてきたが、いま皆が節電に努め、私利私欲を抑えて行動しているように「慎みをもった出版」の時代の到来を望む。

ともかく、ニッポンの有り様、企業像、暮らし方などのすべてを、この期に日本中で見直すことが、人に温かい日本再生に成功するかどうかの鍵を握るのではないだろうか。

大震災で亡くなられた方々、行方不明の方々、罹災され苦しい毎日を送る方々を想い、「自分のため、自社のため」から「人のため、社会のため」に心を変えて動き、自分ができることを真摯に実践すること。
WAVE出版は、この「利他の心」を新年度の誓いとした。

玉越直人
本当に大切なもの
2011年3月18日
2011年3月11日(金)14時46分、私はちょうど経営会議の最中だった。
社の幹部が同室にそろっていたわけだが、あまりに強い揺れに、みな何かを叫びながら会議室テーブルの下に潜るしかなかった。
恐る恐る周りを見回せば、壁に陳列している、創立以来の書籍の原本のうち、上段3分の1ほどが床に落下していた。

一瞬、私は底知れぬ恐怖感のなかで、「終わりとはこうしてくるのか・・」と身構える自分をみた。
今までニュースで見てきた阪神淡路大震災など各地で起こる恐るべき地震列島の被害。
だが私自身は、ここまで激しい揺れは体験したことがなく、思わず「最期」を意識してしまったのだろう。

その日から、6日間経った今も、私のショックは消えず、身体はいつも揺れているようだ。
福島原発で漏れた放射能が東京に来襲するのではないかという恐怖心も湧くが、遠い地の原発のおかげで、快適過ぎる生活を当然のように享受してきた身には、「原発」を責める資格はないのかもしれない。

亡くなられた方々、家族を失った方々、大切な人を失った方々、いまだ行方がわからず苦悩する方々のことを思うと胸がつぶれそうになる。
どんなことでも、これらの方々のために尽くしたいが、それも今は叶わない。

「本当に大切にすべきものは何なのか」
平和で過剰過ぎる暮らしの中で忘れかけていた、この自問を胸に、残された者としてただひたすら一生懸命生き、「ほんの小さなことでも、自分にできることを精一杯やる」ことしか、犠牲者の方々に対して今の私にできることはないと思う。

亡くなられた方々のご冥福を深く深くお祈りしながら。


玉越直人
沖縄のこころ
2011年2月28日
先日、私は実に28年ぶりに沖縄に渡った。
まだサラリーマン編集者時代、沖縄の戦跡を辿る辛い取材以来であった。ひめゆりの塔で女子学生たちの記録にふれただけでも衝撃は大きかったが、なんといっても、昼なお暗い「ガマ」(避難壕)に入った時のショックを今も忘れない。

足元がデコボコの岩窟の中を進むと、やっとほんの少し広い空間に到るが、ゴツゴツの天井は、私の頭がぶつかるほど低かった。
何の罪もない沖縄の民は、こんな場所で、ただじっと恐怖の日々を過ごし、自害していったのだと思うと、背筋が震えた。

そのショックから28年経った今。
那覇空港からはモノレールが首里城まで走り、街は一気に都会化、「奇跡の1マイル」といわれ、かつては英語の看板が溢れていた国際通りも、いまや大観光地のメインストリートと変わらない佇まい。
変わらないのは、北に向かう車中で見た、頭上を低空飛行する灰色の米軍機と、ただただ長く続く米軍基地のフェンスだけだ。

那覇市内で沖縄文化を継承する目的でカフェを営まれている島尻直樹さんにお話をうかがった。
「残念ながら、沖縄の人間が沖縄の歴史や文化に興味をもたなくなってきている・・」と。
これも本土から一気に流れ込んだヒト、モノ、カネが生んだ「戦禍」ともいえよう。

様々な問題を抱えながら生きる沖縄の方々。
ただ、変わらず美しい紺碧の海と、沖縄の方々のゆるりと温かいもてなしにふれ、沖縄は、現代日本人が失った大切なものが何かを静かに語ってくれていると思った。
2011年、私は沖縄に幾度も足を運ぶことになるであろうという、強い予感を土産に帰京した。


玉越直人
共用品という思想
2011年2月10日
共用品」という言葉をご存知だろうか?
正式には「身体的な特性や障害にかかわりなく、より多くの人々が共に利用しやすい製品・施設・サービス」を指す言葉。

ユニバーサルデザインやバリアフリーという言葉は馴染み深いが、より広い意味をもち、アクセシブルデザインと英語では表現され、多様な人々の利用の便に供するため、バリアをなくす、低くすることを狙いとするものだという。

知ったかぶりをしたが、これはすべて受け売りなので、わが師匠を紹介したい。
(財)共用品推進機構専務理事の星川安之さんだ。
星川さんはタカラ・トミーの社員の立場から財団の創立を担った方で、「子どもの心」を今も持ち続けておられる、とてもユニークな方だ。


実は上記の説明も、同氏の新著『共用品という思想』(後藤芳一氏との共著。岩波書店刊)からの引用。
素晴らしい本なので、まずは、一読されることをお薦めしたい。

共用品は、シャンプー容器側面のギザギザ、牛乳パックのへこみ、携帯電話の「5」の凸、左利き用のトランプなどなど、よくまあこんなにもと思うほど、開発は広がっているように思えるが、まだまだ共用品化すべきテーマは山ほどあるという。

私も年のせいで実感することが増えたが、子どもや高齢者が使いやすいものは、誰にもでも楽で便利だし、個人の特性を超えて、みんなで共用品に囲まれ楽しく暮らせる社会こそ、真に豊かな社会だと思う。

翻ってわが本の世界は、「点字書籍」などが目立つものの、「共用品の思想」はまだ途上だと思う。まずは身近かなところから、企画開発を心がけてみようと思った、星川さんとの出会いであった。


玉越 直人
孤独
2011年1月13日
『孤高の人』(新田次郎著・新潮文庫)は、わが青春の書であるが、最近、年末年始などに、読み返すことがある。

昭和初期、当時は富裕層だけのものだった登山界に、ナッパ服を着た登山家として登場、日本アルプスを一人疾風のように踏破した男、「単独行の加藤文太郎」。

同書は「なぜ山に登るのか」という永遠の問いに著者が挑んだ屈指の山岳小説として有名。
だが、私には、高等小学校卒という学歴から造船技師にまでなった実在の人物の、愛と孤独の青春を描いた名作として心に刻まれた。

ともかく歩くことが何より好きな加藤は、単に人付き合いが苦手な性格ゆえに単独行を好んだだけであるが、あまりの登頂記録に、「人間嫌いの変人」「功名心ゆえの無謀な登山」などと、登山界から仲間はずれにされ、悲哀を浴びる。

厳冬の北アルプスの山中で、「冬山の一番の恐怖は孤独だ」と気づき、泣き震えながら、一人ビバークするシーンを私は忘れない。
彼は、山の特権階級に挑戦するわけでも、記録を作るためでもなく、山そのものの中に自分を発見しようとして格闘したのだった。
最後は、初めての二人行の果て、若くして山中で命を落とすが・・

人間を愛するがゆえの孤独な苦行に、私は人間の尊厳をみた。
真の孤独を知る者こそ、真に人間を愛する。
凡人の私には孤高の人は到底ムリだが、せめて群れるだけでなく、自分の脚で生きていきたい。

玉越直人
クリスマス・プレゼント
2010年12月22日
師走、嬉しいニュースが続く。
お世話になっている販売会社、太洋社の役員、土屋正三仕入本部長が「取引先のダンボール会社の社長が『働く君に贈る25の言葉』を読んで感銘を受け、社員全員に本を贈った」と教えてくださった。

私たち出版社の書籍が書店さんに届くまで大切に運んでくれるダンボールを作っている会社である。
地味な存在だが、「縁の下の力持ち」である。

早速、うちの営業部長が表敬訪問にうかがったが、3代続く非常に立派な会社であり、また田中隆一郎社長の経営理念が素晴らしいと喜んで帰ってきた。
本当に元気と勇気と夢が湧くクリスマス・プレゼントだった。

日頃ややもすると、忘れがちな、出版物流の現場で汗を流す方々の存在。
出版不況もあり、大変な日々だと思うが、「本」を愛する様々な立場の方々のリレーによって、この世界が成り立っていることを痛切に感じた。

私が好きなマザー・テレサの言葉。
「遠くにいる人を思いやるのは易しいことです。難しいのは、自分のすぐ近くにいる人を思いやることです」

印刷所さん、紙屋さん、製本所さん、販売会社さん、書店さん、物流・倉庫業者さん・・
書籍の製作・物流の関わるすべての方々に感謝しながら、年末ギリギリまで地道な本作りに精を出したい。

玉越直人
風のにおい
2010年12月10日
風のにおい

私は散歩好きである。
歴史・文化を巡るといった高尚なウオーカーではなく、ごくごくフツーの町のありふれた路地が好き。

見知らぬ土地にうかがった時は、何の変哲もない、洗濯物が干してあるような路地を歩くのが楽しみのひとつ。
できれば夕餉の時間帯。家庭の音が懐かしく感じられ、一人旅の淋しさに浸るのがいい。
そしてそんな時、ふと、その町の「風のにおい」を感じる瞬間がある。

こんな風好きの私に、つい先日新たな「風仲間」が生まれた。
大手資格専門学校、TAC株式会社の齋藤博明社長だ。

小社刊『働く君に贈る25の言葉』(佐々木常夫著)をご購読いただき、社員を集めた場で、本書の真髄を全員に語ってくださったのである。
以前から「知の世紀を拓く」会社の創業者としてお目にかかりたかった方なので、表敬訪問させていただいた。

「生きるということは、自らの運命を引き受けること」という佐々木氏の言葉は、そのまま長くご自身の生きる指針とされてきたそうで、艱難辛苦を乗り越え、大きく社会に貢献する会社を創出された、類いまれな人物であった。

私には師走の風に乗って舞い降りたプレゼントのような出会いに思え、嬉しくてたまらないが、その斉藤氏のご著作が『風の記憶』『風を追う』『風に出会う』なのである。
文藝春秋社のベストエッセイにも選出された見事な文章が際立つ佳作である。

若き日に海外を放浪されたという斉藤氏は、間違いなく世界の名もなき街の「風のにおい」をご存知の方だと私は想像する。
これからの交友が本当に楽しみである。
『iPadとツイッター』
2010年11月26日
iPadとツイッター

私は超アナログ人間だが、今年6月からiPadを使っている。もちろん「電子書籍」を体感し、その未来を考える意味があり、重要な任務、つまり「社命」である(笑)。

最初はむき出しでカバンに入れていたが、「落とすと一発で終わり」と知人に脅かされ、慌ててケースを購入、画面用シートも貼り付け、一応形だけは整えた。

だが、操作はいまだ覚束ない。単に指が太いせいもあるが、タッチミス、入力ミスが多く、疲れる。おまけに重い。それに何より、肝心な電子書籍がつまらない。
初めこそ、もの珍しさから、『もしドラ』などベストセラーをどんどん購入して読んでいたものの、ともかく楽しくないのだ。

紙の本のもつ手触り、頁をめくる喜びは、想像以上に大きく、本好きは、「本」という物体そのものが好きなのだと、今さらながら気づかされたのである。最近では、しおりやスピンですら愛おしく思える。
逆に言えば、iPadのおかげで、今まで当然のように享受してきた書籍のありがたみに目覚めたのだった。

アナログ人間の感傷に過ぎないのかもしれないが、結果、今では本体700グラム+ケース120グラム、ソフトカバーの本3冊分近い、計820グラムが一層重く感じられる昨今。

そんな思いに至った矢先、今度は「ツイッター」という、新たな社命が下りた。メールも読み直し加筆修正してから送るような人間が、ツイートとは・・。
まだ始めたばかりとはいえ、まだたった5回しかつぶやいておらず、フォローしてくださった方々には、この場を借りてお詫びするしかないが、ともかく「つぶやき」が「ぼやき」にならないように、がんばろうと思います。しばしご寛容を。

玉越直人
古今亭菊之丞師匠
2010年11月15日
落語が好きである。
とはいっても、昔からではない。
蕎麦、落語、カラオケなど、五十路を回ってから好きになったものが結構多い。

若いときは、腹の足しにもならない、味気ない年寄り食の代表「蕎麦」。
「落語」も、新宿で飲んだあと冷やかしで入る「末廣亭」くらい。
カラオケは生オケ時代から嫌いだった(自分が下手なくせに、人の下手な歌を聞かされるのがたまらなかった)。

話がそれたが、そんな私が数年前にはまったのが古今亭菊之丞師匠。
細身で色白、現代的な風貌の師匠は38歳になったばかり。さわやかな口跡と、色気と艶のある高座に「惚れた」。
ごく普通の家庭に生まれた少年は、中学生時代から寄席に通い詰め、高校卒業と同時に古今亭圓菊師匠門下に。辛く厳しい前座修業にも「大好きなことだから」とめげなかったド根性には感服した。
幸い、何度も寄席にうかがううちに知己を得、処女出版がこのたび叶った。タイトルは『こういう了見』。帯には「落語は、あたしが惚れ抜いた、とんでもなくいい女」と。

こんな菊之丞師匠だから当然だが、女性ファンも多く、今回の本作りには、やはり大ファンのノンフィクション作家、亀山早苗氏が全面協力。
かような了見でできた本が面白くないはずはない。
秋の夜長、別に落語ファンでなくてもしっかり楽しめる一冊になりましたので、ぜひぜひ。

あっと、大事な情報が。
今年12月6日(月)19時から、小社主催「古今亭菊之丞出版記念落語会」が、日本橋の「日本橋社会教育会館」で開催されます。著者サイン本付き。
本を読んでから聞くか、聞いてから読むかは、あなた次第。
早予約が殺到しているので、ご希望の方は、今すぐ予約お申し込みを(詳しくは小社HPにて)。
69億分の1億2700万
2010年11月5日
69億分の1億2700万

地球の人口分の、日本の人口である。
2度目の来日をされたチェ・ゲバラの娘さんで小児科医のアレイダ・ゲバラ氏と都内でお目にかかった。
アレイダさんとは小社刊『小さな国の大きな奇跡 キューバ人が心豊かに暮らす理由』に寄稿をいただいて以来のお付き合いである。

先に行なわれた「地球の平和のために」という来日記念のスピーチでは、様々な視点から地球上で生起する問題をとらえ、その解決に向けた方策を力強く説く立ち姿に革命家の遺伝子を感じ興奮した。

彼女はこう述べた。
「日本は、世界の普通ではなく、むしろ、日本は異常である、という認識で世界を見てほしい。ある意味、奇跡的に平和が保たれている日本人はたった1億2000万人で、残る地球上の67億7300万人のうち、多くの人々は戦争と暴力と飢餓にさらされている」

会場が静まり返った瞬間だった。
そもそも日本のメディアが報ずる国際ニュースは非常に乏しい上に偏りが多い。紛争地域や第三世界に関しての継続的な報道も少ない。
残念なことに、海外メディアが世界中のニュースをごく身近に流している状況とは雲泥の差だ。
結果、私たちは世界から隔離されてしまっている。
いま中国問題が大きく報道されているが、はたして私たちは中国の何を知っているのだろう。

さらにアレイダ氏は言う。
「この奇跡のような国に住む日本の方々に、アメリカや先進国以外の脆弱な国々に生きる人々の現実を知り、行動していただきたい」と。

「経済封鎖は虐殺に等しい」という苦しい経済環境にあるキューバの現実に思いを馳せながら、心が震えた。

玉越直人
理念と経済
2010年10月13日
死亡説も流れていたキューバのカストロの立ち姿が現地テレビで流れたという。
小社刊『小さな国の大きな奇跡 キューバ人が心豊かに暮らす理由』の著者、吉田沙由里氏からの現地情報に、すぐに「影武者(古いか)」を疑ってしまった私だが、キューバに長く暮らし、カストロの姿に接してきた吉田さんから「それはないです!」とキッパリ。

ともかく、3年前、キューバを訪問し、カストロの人物像にふれる機会を経て、ますますカストロを尊敬するようになった私には、存命のニュースは手放しで嬉しかった。

ただ、後継の弟ラウルは、兄とは違い、「理想」よりも「経済」。さらに言えば、「夢」より「現実」重視の政治家。
結果、カストロが病に倒れて以来、キューバは大きく経済発展し、街の様子はかなり変わりしたという。


名物だった超クラシックカーは、観光タクシーだけになり、街には、韓国「現代」製の小型車が疾走。
自慢の「自給自足」の農業も、中国製のパック食品が大量に出回り、あげく、「分別」の必要がなかったキューバでは、処理できないビニールパックが野積み状態だという。

訪問時、おカネこそなかったものの、心豊かだった戦後日本のような風景に憧れたものだったが、もはや、変貌のスピードは加速するばかりかもしれない。

「理想」と「経済」、これは国も企業も個人も、みな心悩む命題だが、カストロおじさんが創りあげた理想の国の灯が消えることにないよう祈るばかりである。

玉越直人
自己と他者
2010年9月7日
今年上半期の芥川賞受賞作『乙女の密告』を読んだ。
赤染晶子氏の「受賞の言葉」には「無謀な挑戦だった。・・私はこれからも血を吐いて文学に精進していきたいと思います」と。

あの『アンネの日記』のアンネ・マリー・フランクの、ユダヤ人として死ぬことと、オランダ人として生きたいという、「自己と他者」の苦悩。現代日本を生きる女子大生のアイデンティティの懊悩につなげた見事な仕掛けの作品と私は読んだ。
某選考委員は「日本の現代文学の衰退を表象する作品のひとつ」と酷評していたが、こうした異論こそ「ブンガク」であろう。

一方、私は小説のテーマである「自己と他者」の問題を考えさせられた。
レインの名著『自己と他者』(みすず書房刊)が提示した人間の相互性への深い探求とは別に、アンネのような究極の恐怖にさらされる毎日の中でも、真実の自分から眼をそらさない決意が生み出す「自己」と、人間が生きていく上での方途である「他者」。

言い方を変えれば、真実の自分と、現実の自分。
どうやら、この二極の問題に、リアルな時代を生き抜くために疲弊したわが身が過敏に反応してしまったようだ。

小説は「現代の眼」。
1974年生まれの乙女?の無謀な挑戦に敬意を表したい。

玉越直人
花火
2010年8月13日
実は私は人が呆れるほど「火遊び」好きである。
50歳の誕生日会のとき、幹事を引き受けてくれた知人たちに「当日、何をしたい?」と問われ、考えるまでもなく、「花火」と「焚き火」と。

都心でそんな「火遊び」のできる場所はないから、東京湾近くのキャンプもできる公園まで貸し切りバスで移動。
焚き火を囲みながら、打ち上げ大花火を楽しむという、わがまなな趣向。だが、神が怒ったか、雨が本降りに。

ここであきらめないのが私。
焚き火は断念したものの、都心に戻る途中の原っぱでバスを止めてもらい、ゲリラ的に花火だけはと強行打ち上げ。
その美しかったことといったら・・。

ところが、さすがの日本警察。花火の煙も消えない内にパトカーが・・。
逃げるわけにもいかず、事情を話し「二度とこんなバカはいたしません。お縄だけはご容赦を」と哀願し、難を逃れた。
思えばそれが、わが「火遊び」人生を飾る、最高に危ない記念碑となって残っている。

そんな私も、あと数年後の12月で還暦。
赤い「ちゃんちゃんこ」より赤い「炎」。
今度こそ、五十路の初めに叶わなかった「焚き火」と「冬の花火」で夜空を飾りたい。

玉越直人
運命の人
2010年7月17日
山形県遊佐町でひとり美容室を営む著者、佐藤由美さんを久しぶりにお訪ねした。
著書『余命ゼロを生きる』は発売と同時にテレビなどで一斉に取り上げられたが、先週のフジテレビ・スーパーニュースでも大きく報道された。

佐藤さんは、出版当時よりも病状が厳しく、マスクと片目の眼帯が痛々しいが、特に顔面の激痛にさいなまれ、睡眠もままならないとのこと。
顔にできる特殊なガン「線様のう胞ガン」が身体にも転移し、絶望的な状態ともみえるが、佐藤さんは、自らの病状悪化も「想定内」として、決して生き方・信念を曲げない。
それどころか、そんな日々の中で一番辛いのは「美容室の少し先の予約が果たせず、お客さんにご迷惑をかけていること」と。


私は帰路の列車の中で、ユダヤ人精神科医、ヴィクト−ル・フランクルの名著『夜と霧』(みすず書房刊)を思った。
アウシュビッツの絶望的な状況の中では、絶望に飲み込まれてしまった者は抵抗力がなくなり、瞬く間に病気になり、ガス室を待つまでもなく亡くなっていく。

奇跡的に生き残ったフランクル氏は「すべての人間は全宇宙にたった一度、二つとない在り方で存在している。そして、その一個性と唯一性が人それぞれの運命をもたらす。
もし、その運命にとことん苦しめられても、その苦しみにも意味がある。だから、人生に期待するのではなく、人生から自分が何を期待されているかを考えよう」という趣旨のことを書かれている。

常に由美さんの心にあるのは「人の役に立つこと」。
家族やお客さんや、困っている人の役に立つことを人生の意味として、今日も鏡の前に立つ佐藤さんの姿に、私は人間存在の原点を見た。
失われた人生
2010年7月1日
実は私は学生時代、将来の仕事として「映画か、出版か」かなり迷った時期があった。

ちょうど今村昌平監督率いる「横浜映画学校」の創立期であり、多くの受験者が、何人かいる面接官と順繰りに対峙するのだが、それがたまたま今村監督ご自身であったことが、私の運命を決めたように思う。

「キミは映画よりも活字ジャーナリズム、それも編集者に向いている」と言われたのだ。
単に「キミはこの世界では通用しないよ」ということだったのだろうが、畏敬の念をもつ巨人に言われた青過ぎる若者には神の声に聞こえた。

結果、出版社にもぐり込み、幾星霜、本は何百冊も作ってきたが、五十路を過ぎたあたりから、映画への未練が芽生え始め、特に最近は旧作映画を観ては、よからぬ夢を見る。先日も何度目になるか、「自転車泥棒」を観た。

いうまでもない名作。
日本と同じ敗戦国のイタリア、極貧の時代。
失業者で溢れる街に住む一家のリアルな話だが、1台の自転車の盗難が、父、母、子の「家族の生」を照らす。

入学祝いに新品の自転車を買ってもらった身には大きなことはいえないが、この映画はまさに「貧しさの教育」であり、貧乏こそ、わが子への最高の遺産ではないか、とつくづく感じさせられる。
映画って素晴らしい!

こうして、どこかで映画への想いを捨てきれない自分がいる。
世界は失われた人生で満ちている。

玉越直人

『ビッグツリー』
2010年6月21日
朝日新聞be「逆風満帆」。
小社著者、東レ経営研究所社長・佐々木常夫氏の、上中下と3週連続の掲載が6月19日(土)に最終回を迎えた。

同記事の中で、佐々木常夫氏と私の運命的な出会いが『ビッグツリー』という本を生んだエピソードが描かれている。
いささかくすぐったい気もするが、紙面を通して全国津々浦々の方々に、秋田出身の佐々木さんという、風雪に耐え凛と立つ大きな「父の樹・・ビッグツリー」の存在が周知されたことは単純に嬉しい。

同書を読んでくださった作家のよしもとばななさんが、ご自身の公式サイト日記で「『ビッグツリー』という本を読んだ。著者の佐々木さんにとっては、愛とはひたすら責任をとること。」ということを書かれた。

必死で働きながら、病魔に苦しむ妻と息子を肉体と精神を張って守り抜き、奇跡の家族再生を果たした男の壮絶な生き様は、あらゆる人の心に「家族のシアワセとは何か」を問いかけてくる。
8歳ほどしか年齢が違わないが、私は佐々木さんを父のように思うことがある。

そんな今日は「父の日」。
「母の日」に比べ、いかにも地味な日らしく、プレゼント品の断トツトップは「お酒」だという、切ない調査結果が出ていたが、佐々木家ではどんなプレゼントが交わされたのだろうか?
深夜、娘からもらったワインを一人呑みながら・・。

玉越直人

『私にはもう出版社はいらない』
2010年6月14日
電子書籍の嵐が吹く中、アメリカの作家がセルフパブリッシングで成功した実例を詳細に記した小社新刊である。

「セルフパブリッシング」とは、日本でいう「自費出版」とはまるで違う、著者一人で、本作りから販売まですべてをネット上で行う、「電子書籍の衝撃を超える衝撃」をもたらす出版形態であると私は考える。
事実、著者はアマゾンなどを駆使し、3万3000部を売り上げたという。

もちろん、われわれ出版社としては、危機感をもたざるを得ないが、是非論ではなく、3万人を超える読者ニーズがあることは間違いないわけで、このビジネスモデルを出版業界は軽視してはならないと思う。

そもそも、出版社は著者、読者に支持、信頼されてこそ成り立つ仕事である。
にもかかわらず、私は昨今、本当にその使命・役割を果たしているのか疑問を感じずにはいられない書籍を眼にすることが少なくない。
今こそ業界挙げて「編集力」と「販売力」を強化しなくてはならないと痛感する所以である。

特別寄稿をいただいたITシャーナリストの佐々木尚俊氏が「これは恐ろしい本である」と文中で述べられたが、私は、本書を刊行することで「もう出版社はいらない」とは言わせないぞ、という気概が業界内に湧き上がることを願っている。

すべては著者と読者のために・・。


玉越直人

朝日新聞「逆風満帆」
2010年6月8日
「芸能人」の登場が多い朝日新聞の土曜版beに「逆風満帆」という注目の連載コーナーがある。

その欄で6月5日(土)から毎週土曜の3回連続、小社『ビッグツリー』『部下を定時に帰す仕事術』『そうか、君は課長になったのか』著者の佐々木常夫氏(東レ総合研究所社長・65歳)が登場している。

東レの課長時代、自閉症の息子さんがいる佐々木家に、奥さまがB型肝炎で入院したことが引き金で「うつ」になる事態が加わった。
逆風どころか、大嵐の中、家族を支え守るために、父として、夫として、課長として奮戦。壮絶な日々を経て社長に昇りつめ、ついに家族再生を果たした、サラリーマンの星、父親の星である。

佐々木さんとは2004年に知己を得、2006年の最初の本を編集させていただいて以来、人生の師として慕っている。
「ひとの一生には、何らかの事情が生まれるもの。そのときには、お互いを知り、助け合えばよい」という言葉がいつも浮かぶ。

佐々木さんのドラマのような人生ももちろん珍しいが、まったく順風満帆な人こそむしろ本当は珍しいのではないだろうか。
人知れず、ひとはみな何かを抱えて生きている。むろん私も・・。
まずはそんな事情を職場でも自然に語り合える会社にしたい。

まずは、6月12日、19日の「逆風満帆」をご覧いただきたい。


玉越直人

明屋書店・安藤社長
2010年5月24日
先日、明屋書店社長の安藤大三様にご来訪いただいた。

昨年、愛媛県松山市で創業70周年を迎えられた明屋書店さんは、徹底した商品管理、「返品率抑制」で日本中に知られる。
もともと雑誌の返品率は30%を切っていたところに、今期は1.66ポイントもダウン。何と28%台になったというニュースも。
「誤返品」を避けるため、「返品の理由」を徹底的につきとめた必然の結果と。

その陣頭指揮をとられるのが安藤社長。
常に各地の店を訪ね、店頭に立ち、レジに入ることでも有名。
常に現場でものを見、考え、自ら判断する。
先日はたまたま万引きすら発見したと・・。

もうひとつ私が敬服するのが、そのスピード。
小社の売れ筋本の話をしていたら、「この案内は本と同じビジュアルサイズで出した方が・・」「この本は、まずあの店で***フェアで展開しましょう!」などと次々にプロモ−ション案が飛び出す。

「書店にも出版社にもできることは山ほどある」
そんな勇気と元気の沸く、嬉しい日だった。

安藤社長、ありがとうございました!

玉越直人

創立記念日
2010年5月12日
5月12日がわが社のバースデーである。
23年前、10年お世話になった出版社を辞め1月あまり経った日に、自宅マンションの郵便受けと表札に手書きの「WAVE出版」という紙を貼ったのが創業の印。
たった独りの無謀な航海の始まりだった。

その秋、長女が生まれ、五番町に小さな事務所を借りるまで、毎日のように、夢のようなことばかり考えながら、新宿あたりを暇そうな仲間を誘っては飲み歩いていた。

志だけはとてつもなく大きかったが、元手は、退職金からの300万。
事務所を借りて、あちこち動き回っているうちにどんどん残高は減り、「これはやばい」と他社の編集仕事を請け負ったり、雑文を書いたりしてミルク代を・・。

取次さんとの口座は何とか開けたものの、ともかく軍資金不足。原稿はいただけても、本が出せない出版社。これは辛い。
結局、知り合いの印刷所には「出世払い」、旧友の著者には「創業祝い」と原稿をプレゼントしてもらった。

編集作業は夜中と休日。
平日は朝から夕方までせっせと書店回りするのだが、何しろタマが少な過ぎる。
これは眠れない夜が続くかと思いきや、なにしろサラリーマン時代よりも身体を使っているせいか、疲れてバタンキュー。
これが創業時の恥ずかしくも、赤裸々な私であった(続きます)。

玉越直人

本はわが娘
2010年4月19日
松下幸之助氏の右腕として著名な、前PHP研究所社長、江口克彦氏の著『松下幸之助 成功の法則』が先月の小社発売以来、堅調に読者の支持を得ている。

江口氏は、幸之助氏の側近として23年間、松下哲学のすべてを知る継承者といえよう。

残念ながら、私は幸之助氏とお話する機会に恵まれなかったが、江口氏が語る幸之助氏の素顔、言葉は非常に鮮烈である。

幸之助語録は無数にあるが、今日はそのひとつ。
「商品はわが娘」

全国津々浦々のナショナル・ショップで働く社員に向けての訓示で述べた言葉で、自分の娘のように自社商品を愛し、見守り、大切に育て上げるという意味である。

われわれ出版業界でいえば「本はわが娘」。

私も新米編集者の頃、自分の作った本を1週間ほど枕元に置いて寝ていた経験がある。

時代が変わったとはいえ、今どきの編集者は、自分が編んだ本の書店発売日に店頭に立ち、その姿をハラハラしながら見守るということをあまりしないと聞き、呆れてしまう。

どこの世界に、自分が手塩をかけて生み出した商品のデビューを見届けない人がいようか。
本は著者と編集者の大切な子であろうに・・。

玉越直人

そうか、君は課長になったのか
2010年4月6日
新年度、満開の桜の下、オフィス街を歩けば、いかにも新入社員とわかる若者の姿がすがすがしい。

わが社には、とても苦労してやっと保育園がみつかったママさん編集部員が無事4月1日入社。
「少子化対策」なんていうけれど、まずは働く女性のための絶対インフラ、保育園が足りな過ぎ!

そんなさまざまなフレッシュマンの登場で沸きたつ春、小社近刊『そうか、君は課長になったのか』が、おかげさまで今大きな話題を呼んでいる。

著者の佐々木常夫氏は、ご病身の奥様と息子さんを守り抜きながら、同期トップで東レの役員になり、社長にまで昇りつめた、いわば「サラリーマンの星」のような素晴らしい方。
その苦難の課長時代に会得した知恵と経験に基づくリーダーのための実学を、新任課長に向けた手紙形式で綴ったものである。

その佐々木氏とお目にかかった折、この4月には、一体何人の新しい課長が誕生したのだろう。そもそも全国に課長さんはどれくらいの人数いるのだろうかとふと思い、大きなエールを贈りたい気持ちで一杯になった。

私は平社員編集者生活を10年過ごし、脱サラ独立してしまったので、課長はおろか中間管理職経験がないが、この本を読むと、「課長の重さ」がひしひしと伝わってきて、やがて「課長って大変だけど、とても面白い!」と思えてくる。

ともかく、家族と部下を共に支えながら、今日も頑張る全国津々浦々の課長さんたちに少しでも佐々木氏の温かい励ましのメッセージが届いたら幸いである。

玉越直人

ヤング@ハート
2010年3月25日
同名の映画を観られた方もおられると思うが、主役のアメリカ・マサチューセッツ州の小さな町ノーサンプトンで生まれた「やんちゃな年金生活者たち」のロックンロール・コーラス隊は、なんと平均年齢80歳の田舎のフツーのおじいちゃん、おばあちゃんたち。

世界各地でツアーを行う、その73歳から89歳までのヤング@ハートのメンバー約20人が今月初来日。
私は川崎市での初日ライブを「川崎市麻生市民館」で聴いた。

映画とは違いナマのライブ。長旅や不慣れな土地での公演なので、ご高齢のメンバーたちの体調が気になったが、そんな心配は全く杞憂。
洗練された音楽とパフォーマンス、ユーモア溢れる語りに圧倒されっ放しだった。
おまけに「上を向いて歩こう」「リンダ・リンダ」に、キヨシローの曲まで流暢な日本語で歌い上げる大サービス付き。

2007年公開の映画の中では、二人のメンバーが映画製作中に次々と亡くなり、残されたメンバーたちが悲嘆にくれながらも歌で追悼する名シーンがあるが、それはまさに人生を、老いを、そして死を肯定するものだった。

さらに感動的なのが、このメンバーを束ね指揮するコーラス・ディレクターのボブ・シルマン。56歳と私と同世代ということもあるが、自分の父や母を見るような目線と温かいしぐさが強く心に残った。

高齢化社会を難儀な問題としてばかり捉えがちな日本だが、ごく素直に「長生きっていいもんだなあ〜」と感じさせる、このライブは、3月27、28日の東京Bunkamura公演で幕を閉じる。
ぜひ今からでも元気をもらいに渋谷へ、もしくはDVDで映画を。

そして、ヤング@ハートの方々には、日本の桜を堪能して無事に帰国していただきたい。

玉越直人

「自殺」と「自死」
2010年3月18日
今月は自殺防止月間。
3万人を超す国内の自殺者を減らすために行政・民間団体のキャンペーン活動が目立つ。

私は「いじめが原因での子どもの自殺撲滅」を目指すNPO法人の創立理事として活動していることもあり、常に自殺問題が頭を離れず、メディアでも周囲でも「自殺」という言葉を見聞きする度に、心が苦しくてならない。

そして、そんなとき常に思うのは「自殺」という言葉。
Wikipediaでは「自殺とは自分自身を殺すこと」とある。
その原因を問わず、人間として許されない行為、つまり反社会的行為とみなされる。

だが、自殺には、社会的要因が多く、私はもはや「自殺は個人的な問題ではなく、社会的な問題」だと考えている。
ゆえに「自分を殺す」という言葉に、どうしても抵抗感がある。

そこで私は「自殺」ではなく、「自死」という表現を使っている。
「自死」という言葉には、自ら命を絶つ行為を、反社会的行為だと責めないニュアンスが強いからだ。
ある方の遺書には「生きたい、でも、死ぬしかない」と書かれていた。

社会が自死問題に取り組むにあたって、この表現の問題は一つの重要な視点ではないかと私は考える。


玉越直人

秋葉原のみなさん、こんにちは!
2010年2月17日
秋葉原のみなさん、こんにちは!<秋葉原のみなさん、こんにちは! WAVE出版です!>

こんなキャッチを手書きで綴った小社の書籍フェアが、有隣堂ヨドバシAKIBA店様で2月1日から始まった。

このフェアは、小社のヒットシリーズ書籍『28歳からのリアル』『35歳からのリアル』の著者グループである「人生戦略会議」と編集担当者が「28歳におすすめ」と「35歳におすすめ」として選んだ10点と、同僚の編集部員2名が「私はこんな思いで、この本を企画編集しました」というコメントを掲げた「編集者フェア」の2本柱になっている。

手書きのPOPや似顔絵も担当者に大変好評で、嬉しい限りである。
ご協力いただいている有隣堂のみなさまには大感謝。
私も早速店にうかがい、嬉しくて写真を撮りまくってしまった。本当に元気が出た。

出版不況云々といわれるが、われわれ出版社は、数字ももちろん大切だが、こうした現場での読者との「出会い」が、何より重要だと日頃から考え、書店様のお力をお借りして実践している。
学ぶものがたくさんある、このフェアは、今後全国津々浦々で展開したいと考え、今から興奮している。

今最もエキサイティングな街、秋葉原駅前のヨドバシAkibaで2月一杯は展開しているので、ぜひ多くの方にフェアコーナーをご覧願い、思いっきり楽しんでいただけたら幸いである。
広告ギャラリー書店様へ会社概要玉越直人の社長夜話採用情報サイトマッププライバシーポリシーお問い合せ
Copyright(C) 2006 WAVE Publishers Co., Ltd. All Right Reserved.